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Tycho: Infinite Health

2024 / Ninja Tune / Beatink
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電子音の変換と共振するパラダイム

17 September 2024 | By Nana Yoshizawa

サンフランシスコを拠点とするソングライター/プロデューサー/ヴィジュアル・アーティスト=スコット・ハンセンによるソロ・プロジェクトとして『The Science of Patterns』(2002年)のセルフ・リリースから出発したティコ。アナログ・ディレイを通したメロディ・ラインが余情を残すエレクトロニック・ミュージックとなり、ノスタルジックな空間を作り上げてきた。そんなティコのターニングポイントとなる作品は、ザック・ブラウン(ギター)とローリー・オコナー(ドラム)を迎えて、生楽器との表現を広げた『Awake』(2014年)が知られている。ただ個人的には『Epoch』(2016年)の辺りから今作に通じるダイナミクスの深みは増していたと思う。その後ヴォーカル・アルバムとして、楽器の密度やこれまでと異なるスペースの配置、つまりミキシングの面でも挑戦した『Weather』(2019年)と『Simulcast』(2020年)を経て、今作『Infinite Health』へと繋がる。こうしてアルバム毎に自分たちのサウンドを意図的に新しくしてきたティコは、今作で明確なリズムの変化を取り入れた。

今作は「ブレイク、ドラム、リズムの要素に重点を置き、すべての楽器がそのリードに従うようにした」とハンセンは語る。この「リードに従うようにした」のが、響きやトーン、リズムに伴う強弱の変化だろう。まずオープニング「Consciousness Felt」のイントロから、ポストロックの特徴をもつサウンドが飛び込んでくる。ささくれ立ったギターの硬い音と従来のコードに捉われないフレーズ、そしてオコナーのドラムもこれまでは細かく刻んだ録音を何層にも重ねていたが、ここでは生録音に近い響きと距離で聴こえるのが印象的だ。このリズムの重点にあわせて、シンセサイザーで奥行きのあるスペースを作りだす。こうした生楽器とオーケストレーションのように広がる楽曲構成は、ボノボのライヴ・セット、トータス、ジャガ・ジャジストを想起させた。

そして今作における重要な楽曲が「Phantom」。80年代のイタロ・ディスコの要素を含むこの楽曲は、スペーシーなシンセサイザーと効果音、前のめりに響くタイトなアップビート、などアートワークが描く近未来のSFを現しているようだ。そしてここではブレイクに重点を置いているのがわかる。ティコのブレイクが印象的な楽曲といえば「Easy」(2019年)やアップビートに特化した「Time To Run」(2023年)が挙げられるだろう。振り返るとティコが新たな局面に入るときは、ブレイクの効果を積極的に用いてきたように思う。さらにこの「Phantom」は音色やリズムの変化にとどまらず、エレクトロニック・ミュージックと生楽器の融合を見せた『Awake』の「Spectre」に通じる思考を見せているのではないか。

ファントムの類義語にあたりフランス語で幽霊を表す言葉が「Spectre」だとすると、ハンセンは今作に独自の死生観を織り交ぜていると思う。もちろん、タイトルの繋がりだけで性急に言うわけではない。実際に今作を「精神、感情、肉体の癒しを求めるマントラ」と語り、ファントムを「死と向き合うこと(ファントムは常に存在する死の亡霊)」と述べている。多くのシンガー・ソングライターやロック・バンドがサウンドに感情を吹き込むように、ティコの作り出すエレクトロニック・ミュージックには叙景が込められてきた。それはハンセンが幼い頃に見た自然の風景だったり、印象に残っている昔のテレビ番組から聴こえたサウンド、そうした過去のノスタルジーに未来への希望を新たなリズムで表現した点でも「Phantom」は象徴的だ。

大胆に言うならば、『Infinite Health』はポストロックの側面を強く感じさせる作品だと思う。実験的な音色の響き、リズムの手法のみならず、ハンセンの移ろっていく思考や意識の変容すらも組み込まれているからだ。アンビエント〜エレクトロニカ〜アヴァン・ポップまで折衷しては、自分たちのサウンドを循環させていく。新たなフェーズに入った、ティコのインスピレーションは『Infinite Health』のなかで無限に行き来している。(吉澤奈々)


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