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星野源: Gen

2025 /SPEEDSTAR
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音の中で生きること

27 June 2025 | By Tatsuki Ichikawa

4月に日本でも公開された映画『ファレル・ウィリアムス:ピース・バイ・ピース』(2024年)は、カラフルに一人のアーティストの、いや、一人の音楽“ナード(NERD)”の人生を映していた。彼には幼少期から、サウンドが色彩として視覚的な感覚を持って目の前に浮かび上がる共感覚の持ち主で、音楽の持つ魔力に取り憑かれた。彼は、稀代のヒットプロデューサーとして大成するが、そんな彼にとっての音楽が持つ魔力とは、金を産みだすことでも、メッセージを掲げるためのプラカードの役割を担うことでもなかっただろう。当然、「ステレオ・ラブのレコードを聴いた時、セルジオ・メンデスやブラジル‘66を聞いていたのは俺だけじゃなかったんだってわかったよ」(HIPHOP MAP 2002: blast PRESENTS (シンコー・ミュージックMOOK) P39、原文ママ)と、昔のインタヴューで発言しているように、彼にとっても音楽が、ふとした時に点と点を結ぶ線のような役割を持つものであったことは明らかだが、何よりも彼にとって音楽が、感覚として自分の世界に不可欠なものだったことは容易く想像できる。

「音楽に対するイノセントな感覚が中心にあった」とインタヴューで答えている星野源のニュー・アルバム『Gen』は、まさにそういう作品と言えるだろう。『Gen』には、モノトーンでシンプルなアルバム・ジャケットにも関わらず、カラフルで多様なサウンドが詰め込まれている。冒頭「創造」における忙しなく弾けるようなシンセ、「Mad Hope」のルイス・コールのドラム、またはサム・ゲンデルのサックス、サム・ウィルクスによるベース、「2」におけるイ・ヨンジンのユニークなラップ、そういった混沌から身を置くような「Memories」におけるUMI、CamiloによるオーセンティックなR&Bのムードに、「暗闇」の星野自身による弾き語り、「Eden」におけるエレガントなDJジャジー・ジェフのビートとコーデーのラップなど。

ここには多くの言語と、ヒップホップ、ジャズ、エレクトロ、R&B、フォークといった多くのジャンルが同居しており、その様相は前作のアルバムにあたる『Pop Virus』(2018年)や、EP『Same Thing』(2019年)の流れを汲んでいるとも言えるが、よりカオティックでフリーな “ごちゃ混ぜ”の世界観を構築していると言える。それは、コンセプチュアルに仕組まれたテーマやメッセージに端を発しているような音楽の作り方とはまた違った感覚を持っていて、そこにあるのは、まるで音楽が立体的に浮かび上がっていくその場に、聞いているこちら側も立ち会っているような錯覚を覚えるような生(raw)の感覚だ。

当然、巧妙な曲の構成によって練られた側面もふんだんに盛り込まれているのがこのアルバムだが、一方で、すぐ隣で歌っているような弾き語りの歌やラップ、あるいは自由奔放なストリングス演奏などは、まるで即興性に溢れるものである。確かな文脈やメッセージを簡単に掴ませてくれるほど輪郭ははっきりとしてくれない。ただ、そこには、何よりも自由に音を混ぜたいという欲望だけがたしかなものとしてある。

つまり、モノクロのジャケットや、幾重にも解釈のできるシンプルで象徴的なタイトルは、色のついていないパレットのようで、そこにどの色を見ることも可能だ。私たちは(いわゆる共感覚の持ち主でなくとも)このアルバムを再生することによって、数々の色を浴びることだろう。多くの可能性をリスナーに委ねる『Gen』は、無機質なこの世界に、逆説的に生(live)の感覚を提供する。(市川タツキ)

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