Review

Mura Masa: demon time

2022 / Anchor Point / Interscope
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正常か、異常か、その先で

23 October 2022 | By Daiki Takaku

希望が濃いベールに包まれたこの時代を、ムラ・マサの前作『R.Y.C』(2019年)は分析した。不気味の谷から聞こえる、架空のノスタルジー。いわば再現の不可能性に宿る可能性の探求。そこでは、閉塞する世界から掬い取られた感情の起伏が、鬱が、たしかに息をしている。

本作『demon time』に前作のような明確なコンセプトはない。“fun”という言葉でムラ・マサが説明する本作の軸にあるのは、楽しさ、快楽、オプティミズム……鬱を現代社会における前提とした『R.Y.C』が矮小化していた感覚そのもののようだ。感情という、願いや祈りとは不可分であるが同質でないものの中でも、私たちがこの世界で今を生きて「楽しみたい」と感じているということ。

EDMがチャートで猛威を振るった2015年ごろ、ベッドルームからDTM時代の寵児としてシーンに現れたムラ・マサは、ここでいとも簡単に即時満足のフローへとまたがり直しているかのように見える。本作にパッケージされたのはSNSのタイムラインをスワイプしていくような即効性のある、非常にスウィートで享楽的なダンス・ミュージック。それは“パンデミックの反動”などと簡単に言ってしまいそうになるものではあるが、だがしかし『demon time』は、それにしては不思議な感触を携えている。

感情に対するアプローチを変えたにすぎない本作から、たびたび『R.Y.C』の香りが漂ってくるのは自然なことかもしれないが、例えば、とりわけサウンド的にもはっきりと『R.Y.C』を引き継いでいる「2gether」のフックには、わかりやすく合成音声のようなヴォーカルが混ぜ込まれている。「ただ一緒にいたいだけなのに」と切実に歌うGretel Hänlynに続いて鳴る変調したヴォーカル。“Together”。それらはまるでトリクルダウンという幻想の潰えた先にある今現在の現実と、それを諦めきれない亡霊の会話である。

あるいは、「hollaback bitchにはならない」という執拗な反復が印象的なShygirlとChunnel Tresを招いたハウス・チューン「hollaback bitch」や、アフロビーツに乗ったパ・サリュとジャマイカのMCであるSkillibengが欲望を謳う「Blessing Me」などは、ダンスの狂騒へと誘いながらも、私たちが逃れがたいゲームの参加者であることを、私たちがそれをときに享受し楽しんでいることを思い出させるだろう。

『demon time』はこうして節操なく現実とそうでないものを、過去作から通底するムラ・マサのスタイル──音そのものは極めて甘いものだが、音楽は過剰へと振れないテクスチャの操作とソングライティング──でもって攪拌しているのだ。渦を巻く、シラフと酩酊を行き来するかのような不安定なフィーリング。澄み、濁り、曖昧に流れていく時間。本作の持つ、不思議な感触の正体はそこにある。

ここで鬱、および抗うつ剤の使用を公言しているムラ・マサが「夢中になる」といった意味でこのアルバム・タイトルをつけたという事実も見逃せないだろう。そして、所属するMall Boyzの楽曲「Higher」で「成し遂げて死ぬ」と、主観的な一回性の追求を高らかに宣言したTohjiがフィーチャーされていることも、その曲のタイトルが「slomo」、スローモーションであることも、決して偶然ではあるまい。正常か、異常か。本作が訴えかけるのはそのあわいの必要性であり、ひどく脆弱なその判断基準から解き放たれることの必要性である。現実であって、そうではないような、孤独であって、そうではないような、一瞬のような、永遠のような、わたしが、わたしだけが感じているかのような、“夢中”になっている間の不明瞭な時間軸、その価値を『demon time』は聴く者に問うている。(高久大輝)


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