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Sleater-Kinney: Center Won’t Hold

2019 / Mom+Pop
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共に生き、共に老いていくために

20 August 2019 | By Shino Okamura

出鼻をくじかれることになったことはとても残念なことではある。もちろん、ドラマーであるジャネット・ワイスの本作リリース直前での脱退表明だ。もともとジャネットがサム・クームスと組んでいるクアージに専念したがっているという噂は耳にしていたが、よりによってこのタイミングで…と無念に思えてならない。LGBTQという角度から様々な事象、文化が語られるようになった今のこの時代に、このバンドがカミング・アウトもしているセイント・ヴィンセントをプロデューサーに迎えての新作を発表するというのは大変大きな意味を持っている。言うまでもなく、1990年代半ば、オリンピアを拠点に活動開始したこのスリーター・キニーは、フェミニズム…というよりも女性の自立という姿勢に寄り添い、力強くそこに発破をかけるようなギター・ロックが武器であってきたから。やや乱暴な言い方をするなら、ジャネール・モネイが今放っているようなメッセージを、90年代のオルタナティヴ・ロックの時代にラフなギター・ロックで伝えていたのがスリーター・キニーだったとも言える。もちろん、スリーター・キニーの主張の方がよりパンキッシュに挑発的ではあったが。

そしてもう一つ、このアルバムには別の大義がある。2015年のリユニオン以降も含め、これまで《Kill Rock Stars》《Matador》《Sub Pop》といったUSオルタナを象徴するような老舗レーベルから長きにわたり作品を出し続けてきた、(妙な言い方だが)USインディー・ロック・エリート(?)の彼女たちが、この約4年ぶりのオリジナル・アルバムを《Mom+Pop》から発表していることだ。コートニー・バーネット、アンドリュー・バード、WAVVES、ネオン・インディアンなどを発売してきたニューヨークのこの創設11年目のインディーズは、明らかに2000年代以降のUSシーンの拡張と多彩さを支えてきている重要なレーベル。そこからキャリアのあるスリーター・キニーがリリースすることの意味は、言うまでもなく彼女たちが90年代〜2000年代と2010年代以降〜現在に至るまでの時代の橋渡し的な役割を果たすことにもつながる。おまけに本作のプロデュースは、2000年代以降のUSインディーで最も商業的に成功を収めているアーティストの一人でもあるセイント・ヴィンセントという奇跡。少なくともその2つのアングルにおいて、このアルバムはとても重要な意味を持っていると言っていい。

そんな追い風200%とも言える本作発表前に、鉄壁の3ピースの一角だったジャネットが抜けたことは正直言って相当なダメージだ。だが、ここでの11曲を聴くと、これまで同様に女性の強さと底力を讃えた作品でありつつも、女性の弱さと柔らかさ、フレキシビリティがこれまでになく表現された、実に多面的な作品であることに気づく。断っておくと、誰が聴いても明らかに新機軸を打ち出したアルバム、というわけではない。近年のタフな音の強度を高めたセイント・ヴィンセントらしさも、「Love」や「Can I Go On」などに伺えるがそれほど多くない。むしろ、これまでのスリーター・キニーの…少なくとも彼女たちの代表作でもある『Dig Me Out』(1997年)前後の破竹の勢いがあった頃と自然な接続がここにあると言ってもいいだろう。そういう意味で物足りないという意見が聞かれるのもわからないではないが、それでも断言すると、重要なのは終盤の2曲だ。「The Dog / The Body」のユニゾンで歌われるエネルギッシュなシンガロング・スタイルのサビ、「Broken」の静かなピアノが伝えるフレーズが哀感と厳しさ。ここから見えてくるのは、老いてもなお体を張って表現活動を続けるパティ・スミスの姿だ。

仲間が一人離れても、恐れずに次のステージに進もうとする姿……もちろんレコーディングにはジャネットも参加しているので当然なのだろうが、彼女たちはもう今の時点で新たな明確な目標をしっかりと設定していることに気づく。ただ主張するだけではなく、ただ突っ張るだけではなく、様々な人々と共に生きること、共に年齢を重ねていくことの醍醐味。それがここに描かれているのではないか。繰り返すが、ジャネット脱退は本当に残念だ。だが、そうしたアクシデントも含め、彼女たちはこれからも人生の変遷を受け止めていくのだろう。あくまで、今の時代に生きる一人の女性として。(岡村詩野)

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