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近年、興味深い音楽書籍が多数発刊されています。それも、通り一遍のジャンル本、ディスクガイド本などではなく、まったく新しい音楽の聴き方、再定義の醍醐味を提唱してくれるような本が増えている印象。あるいは単に音を聴くだけでは飽き足りない、音楽書という概念さえ超えた跳躍力のあるリーディングを誰もが欲していると言ってもいいのかもしれません。なかなか読むことが困難な洋書も近年は極端なタイムラグがなく和訳されるようになりました。
そこで、読書の秋、TURN執筆陣と編集部総勢30名による“愛読音楽書”を一挙公開します。評論本、研究書、自伝、歴史書、詩集、人気小説、自主出版までもりだくさん。入手困難なものもありますが、ぜひ探して読んでみてください。そして、おしえてください、あなたの“この一冊”は何ですか? (編集部)


※筆者名で五十音順


 

『Last Night A DJ Saved My Life』

著者:Bill Brewster & Frank Broughton

Headline Book Publishing / 1999年

1999年に2人のイギリスの音楽ライターによる共著として刊行された本書は、初めてラジオでレコードを再生した人の話から、クラブDJが主流音楽産業でスーパースターとしてもてはやされるようになった90年代までのディスク・ジョッキーの歴史を、膨大なリサーチに基づいて丁寧にたどっていく歴史本。DJの探究心と求心力を核としたこの音楽文化が、いかに移民や性的マイノリティのコミュニティによって形成されてきたかもよく分かる内容。英語圏ではDJに関する超基礎文献で、筆者にとってはバイブルです。日本では2003年に、『そして、みんなクレイジーになっていく』というちょっとズレた題で訳がビミョーという評判だった邦訳書が出ましたが、現在は絶版なので原書の方を紹介します。そろそろ新訳で再刊されて、日本でももっと広く読まれて欲しい!(浅沼優子)



 

『音楽とことば 〜あの人はどうやって歌詞を書いているのか〜』

編者:江森丈晃

P-Vine Books / 2009年

当時宅録をしていた僕は何らかの作詞術を得ようと志村正彦に惹かれて購入したことを覚えているが、ハウツーを得られた記憶はあまりない。だがギターからペンに持ち替えた今となって思うと、それこそが僕に息づいていることだ。「歌詞」を書くこと、あるいは味わうこと。それは正解がないことが唯一の正解かのような、途方もない深淵だということ。「普通」といかに違っていてもそれを誇りとするような各々の哲学、柔軟に寄り添う聞き手の姿勢。そういったことに僕は惹かれていたのだ。そういえば向井秀徳や原田郁子、小山田圭吾など、綴られた13編に当時なかった思い入れが生まれていることに気づく。これもまた読書の醍醐味なのかもしれない。(阿部仁知)



 

『ソニック・ユース・ストーリー』

著者:アレック・フォージ(訳:湯浅恵子)

リットー・ミュージック / 1996年

振り返ると自分の場合、ソニック・ユースを通じてロック・ミュージックの背後に広がる他のさまざまな音楽や文学、アートの歴史について知り、取りまくさまざまな社会の問題や政治的なイシューに対して関心を向けるきっかけを得たようなところがある。本書はその手引きとなった一冊で、デビュー前にさかのぼるバンドのキャリアを縦軸に、各メンバーの個人史や同時代のアンダーグラウンド・シーンを伝えるレポートを編み込みながら、20世紀アメリカの晩年を浮かび上がらせていく。USオルタナティヴの気運高まるなかで書かれたせいか、全体のトーンはどこかオプティミスティックなムードで満ちていて、けれどバンドが事実上の解散状態にあるいま、表題が取られた“Confusion Is Next”のフレーズ――混沌が未来で、その先に自由がある――は異なる響きを帯びて迫ってくるようで、深く感じ入らざるを得ない。(天井潤之介)


 

『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』

著者:磯部涼

太田出版 / 2004年

「音楽について書く」という点で自分の人生を変えた一冊があるとすれば、この本だと思う。いや、正確には『STUDIO VOICE』の2007年4月号なのだけれど、その後、同誌の2008年8月号から始まった磯部涼さんの連載「THE DOOR INTO SUMMER」にはすごく感化された。ジャーナリズムであり批評でもある磯部さんのテキストに打ちのめされた私は、数年前に刊行されていた『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』を手に取った。ラッパーやミュージシャンたちの生々しい証言とナイト・クラビングの硬質な描写。自分が住む街のそばで夜な夜なこんなことが起こっているなんて。クラブに行けなかった18歳か19歳の私は、やけのはらのミックスCD『Summer Gift For You』やこの国のラップ・ミュージックを聴いて過ごすようになった。(天野龍太郎)


 

『私たちは洋楽とどう向き合ってきたのか〜日本ポピュラー音楽の洋楽受容史』

編・著者:南田勝也

花伝社 / 2019年

学生時代にまさにこういったテーマを卒論にした自分にとっては、その頃に出会いたかった一冊。とはいえ洋楽を主に扱うライターとしても無視できない。2000年代までをディケイドで区切りそれぞれ異なる分野の研究者が1章を担当する論稿集だ。通史を概観するものではないのだがどの時代にも共通するのはポップスにおける「遅れた日本/進んだ西洋」の図式をめぐる卓越化のポジション取りこそがこの国のポップミュージックの動機であるということ。もちろん欧米だけを指して「洋楽」という言葉でくくるのは恣意的なのだが、それが長らく自明視されてきたこともひっくるめて西洋音楽に正統性を認める場を創ってきたのは音楽家だけではなく、我々音楽を語る者たちの営みだということを痛感させられる。(井草七海)


 

『ヒップホップ・アメリカ』

著者:ネルソン・ジョージ(訳:高見展)

ロッキング・オン / 2002年

言わずと知れた名著である。ネルソン・ジョージという人間の文章に、自分が初めて触れたのが、『リズム&ブルースの死』ではなく本書であったということに、特に大きな理由があるわけではないが、少なくとも最初に読んだ時は、所謂音楽書とは一味違う語りに刺激を受けた。特に黒人であるジョージとヒップホップの関係性の記憶が綴られている部分は、今読んでも本書の持つストーリー性とリアリティを高めていると思える。とはいえ、当然ながら、ここに書かれていることに対して、未来人である我々は別に賛同をしてもしなくてもいい。ジョージは、約20年前の時点で、いくつかの予測を記している。本書で仄めかされる、「ヒップホップアメリカ」の死の予感はどうだっただろうか。寧ろ「ヒップホップアメリカ」が複雑に拡大している現代において、新しく書かれるものの価値を確かめるその間に、過去の記録と今一度向き合ってみるのも面白いかもしれない。(市川タツキ)


 

『ニューヨーク・ストーリー ルー・リード詩集』

著者:ルー・リード(訳:梅沢葉子)

河出書房新社 / 1992年

素晴らしい詩集ではある。が、重要なのは掲載されている“リード自身による”2つのインタビューだ。特にチェコ共和国の初代大統領で劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルにリードがプラハで行ったインタビューは、ロシアがウクライナへ侵攻する今読まれるべきテキストだろう。ビロード革命の中心人物だったハヴェルは、60年代の反体制運動の影響を受け、当時のニューヨークでヴェルヴェットのレコードを買っていた。ハヴェルはこのインタビューでそうした体験がチェコを民主化へと導いたと話している。ビロード革命(Velvet Revolution)というネーミングとヴェルヴェット・アンダーグラウンドとは直接関係ないが、歴史の連鎖の根っこで繋がっていたことが浮き彫りにされたここでの対話を読むたびに、音楽/アートと政治/社会を切り離して考えることは、まことナンセンスなばかりか、人類にとって大きな損失なのではないかと思うのだ。(岡村詩野)


 

『Decoded』

著者:Jay-Z

One World / 2019年

ジェイ・Zの自伝的作品にして、本人自ら楽曲のリリックを解説した一冊。歌詞解説サイト《Genius》でアーティスト本人がリリックを解説する企画《Verified》が始まる前に発売されているので、ある意味ではその先駆け的存在。彼の作詞方法の背景にある考え方が知れて、特に「Meet the Parents」と「Regrets」には改めて唸らされること間違いなし。本筋からすれば言わなくてもいいことをあえて描写する点など、現代を代表するラッパーたちのリリックにも少なからず影響を与えていることが読み取れる。そしてなにより、本書を読み終えた後には「December 4th」が自分の曲のように思えるはず。(奧田翔)


 

『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』

著者:サイモン・レイノルズ(訳:野中モモ、新井崇嗣)

シンコーミュージック / 2010年

リアルタイム世代でない私にとっては歴史の教科書であり辞書のようなものです。こんな立派な本に触れると、この時代こそが最高であったかのように錯覚してしまいがちですが、現代も決して負けていないと思います。イギリスの音楽評論家である著者のサイモン・レイノルズさんは当時を振り返りこう語っています。「あの頃、古いレコードを決して買わなかった。あたりまえだ。必携の新譜が続々出ているのだから、過去に投資する必要などこれっぽっちもなかった。(中略)自分が生きていない時代を振り返る時間は無かった」その時代を生きた著者だからこそこの本が書けたように、君たちも自分の時代を生きろと教えてくれているようでもあります。(小倉健一)


 

『増補 ポピュラー音楽と資本主義』

著者:毛利嘉孝

せりか書房 / 2012年

学生時代に大学生協の書店で面だしで陳列されていてたまたま本書を手にしました。音楽雑誌やディスク・ガイド、ブログなどを読み漁っていた当時の自分に音楽についてこのように学術的手さばきによる論じ方が存在することを教えてくれ、今もことあるごとに読み返す一冊です。SpotifyやApple Music、YouTubeが音楽制作並びに音楽聴取の様式に多大な影響力を行使しする現在にあってそのようなサブスクリプション・サービス登場以前の「ポピュラー音楽の発展を可能にした社会的・経済的背景」(p.12)を丁寧かつ明快にそこに記された音楽への愛をところどころに滲ませながら論じた本書はいまこそ(いや、いつでも?)読み返されるべきだと思うのです。(尾野泰幸)


 

『ボーン・トゥ・ラン ブルース・スプリングスティーン自伝(上・下)』

著者:ブルース・スプリングスティーン(訳:鈴木恵、加賀山卓朗)

早川書房 / 2016年

その熱い“ロックン・ソウル”はどこからやって来たか? スプリングスティーンは自らこんな風に書き記す ――「愛と恐怖を生み出し、胸を張り裂かせる町、ニュージャージー州フリーホールド」からだ、と。ロック・ミュージックの大御所による自伝は、強く逞しい男の武勇伝ではなく、ある時代のアメリカの記憶の重なりとして書かれた。夢を見ることを忘れた町の労働者たちを見つめながら、青年は自分のなかの、あるいは社会に横たわる悲しみと苦難を音楽の動力にする。たくさんの人間が彼の人生に現れては去るなかで、ときにはともに音を鳴らしもする。個人史を綴ることがそのままアメリカの内側の忘れられた生を掘り起こすものとなっているのは、彼の歌が描いてきた情景そのものだ。(木津毅)


 

『無限の歓喜』

著者:今野雄二

ミュージックマガジン / 2011年

今野雄二氏による音楽評論アンソロジー。70年代から約40年にわたって掲載された音楽記事とライナーノーツで編纂されている。評論家として幅広い分野で活躍していた氏だが、同時代を生きた90年~00年代の執筆に強く影響を受けた。ルーファス・ウェインライトなど性的マイノリティのアーティストを積極的に取り上げ、膨大なデータベースのレファレンスから示唆される、歌詞やパフォーマンスのメッセージ、周辺人物との相関、性的描写、ゲイカルチャーの社会的背景など、今でこそダイバーシティ という一言で片付けられてしまうことを、彼の徹底したロマンティシズムを通過して 表現されているのが痛快だったし、今読んでも十分に刺激的だ。(キドウシンペイ)


 

『Collaider LESSON01』

Collaider編集部

自主出版 / 2002年

20年前僕は16歳で高校1年生だったのですが、既にターンテーブルでレコードで遊ぶのが楽しくて、学校が終わればいろいろなレコ屋の試聴機に噛り付いて、時間の許す限り新譜や情報を集めていました。そんな中、同じようなクラスの仲間から一歩進んだような「何か」を期待してこのコライダー・マガジンを手に取りました。
既にメインストリームとは別軸でアンダーグラウンド・ヒップホップを聴き漁っていた時期で、このマガジンに収録されているShing02、DJ BAKU、DJ KLOCK、54-71などに関する数少ない貴重なテキストを何度も読み返し、フィーチャーされているデザイナーやグラフィティも眺めては、自分の中での「ドープのライン」を精査し直し続けていたような気がします。Vol.2も出ていて、そちらも素晴らしい内容です。(KM)


 

『音楽未満』

著者:長谷川集平

マガジンハウス / 1991年

ある作品を面白くないと思うとき、それはその作品のダメさを語ることではなく「ぼくが何者かを明かす手立てにすぎない」と長谷川集平は説く。音楽を聴くこと、映画を観ることはひょっとしたらそれを作る以上に重要なことなんじゃないか。とかく冷笑な物言いがもてはやされた80年代後半に、彼の厳しくも優しく歯切れのよい言葉と骨太な絵のタッチに出会い、ひとつの作品と真摯に向かい合うことの可能性を教えてもらった。セロニアス・モンク、バッハ、ディーヴォ、矢沢永吉など、アーティストに内在するさびしさやエネルギーを丁寧に掬い上げ、アートの存在理由を問いただす評論集。古本屋でディグしたり図書館で取り寄せたりしてぜひ読んでほしい。(駒井憲嗣)


 

『音楽入門』

著者:伊福部昭

KADOKAWA / 角川学芸出版 / 2016年

ネット上での情報発信が容易になって以来、ミュージシャンがその作品を発表するにあたって、自らこしらえた解説文のようなものを投稿している場面をよく見かけるようになりました。そこには、作品の印象を言葉でもって補完しようという目的があるのかもしれませんが、実際には音楽そのものの貧弱さを作者が自ら告白しているに過ぎないということを、書き手も読み手も正しく認識できているのかは疑問なところです。
作曲家の伊福部昭はこの『音楽入門』の中で、作品と対峙するときの然るべき態度について、印象論ではなく、あくまでも音響学的な視点から、音楽というもののメカニズムを紐解いていくことで解き明かそうとしています。
作品において音楽家は何を顕示すべきなのか、また聞き手はその中に何を見つければよいのか、一度立ち止まり考えるきっかけを与えてくれる一冊です。(佐藤優介)


 

『服は何故音楽を必要とするのか?―「ウォーキング・ミュージック」という存在しないジャンルに召還された音楽達について』

著者:菊地成孔

INFASパブリケーションズ / 2008年

僕はファッショニスタではないが、この本には影響を受けた。予備校生の頃、『Fashion News』誌上で初めて読んだ。“ハウスとロックの断層”というアイデアを学んだのもここからだった。あと、2000年代当時にカニエ・ウェストのファッション界への接近を(書き口は軽妙だが)ここまで真剣に観測していたのは菊地だけだったのでは。今でもショーの映像を観るのは好き(買えませんが)で、特にアレキサンダー・マックイーンの2006/2007 AWの映像はよく観返す……と書こうと思い、久々に河出文庫版をダウンロードして読み直したら一文しか触れてなくて(しかも菊地のコメントですらなくて)過去の自分の情報欲の強さに驚いた。(佐藤優太)


 

『未来の〈サウンド〉が聞こえる 電子楽器に夢を託したパイオニアたち』

著者:マーク・ブレンド(訳:ヲノサトル)

アルテスパブリッシング / 2018年

ライター講座で岡村さんに教えていただき買いました。今もまだまだですが、当時学びが浅かった私が頭の中で描き始めた地図の起点になっている本です。取り上げられているのは、電子楽器を自作したりテープを駆使したりして生まれた音を、映画やテレビ番組、CMなどのメディアを通して世間に届けた技術者たちとその楽器、そして演奏者たち。それはつまり70年代に入りシンセサイザーが普及する頃には居場所をなくしていった者たちのことでもあります。だからこそ、テクノロジーの限界と発展、芸術音楽との不和、資金不足などに悩みながらも、電子楽器と電子音楽に熱意を注いだ彼女彼らの存在を忘れない地図を描いていきたいです。(佐藤遥)


 

『ひとり ~Altogether Alone~』

著者:GAZETTE4(鈴木惣一朗・小柳帝・小林深雪・茂木隆行)

アスペクト / 1999年

何気ない日常のなかでふっと訪れる「ひとり」を感じる瞬間にそっと寄り添う音楽。「ひとり」で気ままにのんびりと過ごす時にハマるちょうどいい湯加減な音楽。「ひとり」になって心がささくれだっている時や、人恋しくなった時にすっと染み入る音楽。誰も寄せ付けないような孤高の雰囲気をもった音楽。そんな様々な「ひとり」の雰囲気をもつ音楽(新旧のシンガー・ソングライターからソフトロック、ジャズ、ブラジル、オルタナまで幅広いジャンル)をSWEET、MILD、BITTERの3つのブロックに分け紹介する独特なスタイルの音楽レビュー本。編著は名著『モンドミュージック』の執筆陣。聴きたいレコードがどんどん増えていく一冊です。(澤田裕介)


 

『Retromania: Pop Culture’s Addiction to Its Own Past.』

著者:Simon Reynolds

Faber & Faber / 2011年

現代のポップ・ミュージックは、いつしか直線的な発展の推進力を弱め、過去の音楽遺産の参照や編集作業に拘泥するようになった……。「新しさ」を駆動力としてきた(ように見える)ポップミュージックを愛する者にとって、この本でサイモン・レイノルズが描き出す見取り図は、ややもすればペシミスティックに感じられるかもしれない。しかし、反転させるなら、なぜこれほどまでに「過去の復権」が現代のポップ・ミュージックにおいて継続的に興ってきたのかを考えてみるべきなのだ。そうした状況を細かく精査し検分してみせる本書は、結果的には「現代」そのもののありようを見事に浮かび上がらせる。私がTURNで持たせてもらっている連載《未来は懐かしい》も、この本に書かれた問題意識を直接的に引き継いでいる。深い畏怖の念を抱くとともに、更に発展的な議論を展開したいものだ、と日々考えている。 (柴崎祐二)


 

『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』

著者:売野雅勇

朝日新聞出版 / 2016年

「そのころは、本当に楽しい時代のはじまり、という気配が東京中にあふれていた」。オールド・メルセデス、ジェルバ島のリゾート・ホテル、金子國義の絵、『アメリカン・グラフィティ』…。カラフルな固有名詞がきらめくなか、表紙を飾る鈴木英人のイラストのような「青」のトーンが通底する。プラザ合意以前の80年代前半、それは消費社会が到来し、人々が新しい生き方を、新しい音を、新しい言葉を求めた季節だった。この本は、そんな時代の寵児となった青年のときめきや戸惑い、喜びや悲しみを鮮やかに記録したドキュメントだ。売野の、そして日本のポップスにとっての「青春」を描いたグラフィティに、大滝詠一や井上大輔の思い出が複雑な翳りを加えている。(吸い雲)


 

『越境する〈発火点〉インドネシア・ミュージシャンの表現世界』

著者:金悠進

風響社 / 2020年

インドネシアの音楽家ハリー・ルスリの代表作「発火点」と出会い、虜になった著者が、現地に滞在し調査をした成果が物凄い熱量で収められている。彼の音楽を通して、インドネシアを対象化することが本書を貫くテーマとなっているが、ハリー・ルスリは「逸脱事例」だという著者の発言が示すように、その複雑性や多様性は、インドネシアの文化一般論の範疇にとどまるものではない。しかし、関係者への丁寧な取材から書き起こされる文字からは、著者のハリー・ルスリへの、インドネシア文化史の隅へ決して追いやろうとしない気概と愛を感じられて、勝手に胸が熱くなるのだった。「音」を「文字」にすることの、その捉えきれない葛藤を素直に表明しているあたりも素晴らしい。自分にとっては、学術書とファンジンの間のような不思議な音楽書。(菅原慎一)


 

『エレクトロ・ヴォイス 変声楽器ヴォコーダー/トークボックスの文化史』

著者:デイヴ・トンプキンズ(訳:新井崇嗣)

スペースシャワーネットワーク / 2012年

00年代に始まった80年代リバイバルを聴きながら、マーシャル・マクルーハンなどのメディア論を学んでいた私にとって、この本は音楽をどう捉えるのかを教えてくれた指標の一つ。ひとつの技術(ヴォコーダー)が生まれた背景(戦争のため)から始まり、その技術がいつしか差別に対するプロテスト・ソングを生み出す。本書は、音楽という文化史が音楽だけで成立しているモノではなく、社会の中で変化し作られていくことを教えてくれた。またこの本は楽器史でもあり、ジャンルレスに音楽が紹介されている。ジャンルとはその作品に対して一方からみた定義でしかないことを示し、私の長年の疑問に一つの解答をくれた。(杉山慧)


 

『同人音楽とその周辺 : 新世紀の振源をめぐる技術・制度・概念』

著者:井手口彰典

青弓社 / 2012年

同人音楽によって音楽の世界へ足を踏み入れた自分にとって、このブラックボックス的かつ裾野のあいまいな音楽範囲を学術的に論じた書籍は非常に意味深い。泡沫のように絶えず現れては消えてゆく数多のサークルによって形作られる巨大な靄が――それがほんの一部であったとしても――ある種のアーカイヴとしてフィックスされていることも重要だ。また、本書の発売年である2012年には2月に米津玄師が初の本名名義での楽曲を発表、さらに12月にはLinked HorizonがTVアニメ『進撃の巨人』主題歌を担当することが発表されるなど、まさに“ポスト同人音楽”とも呼べる領域にとって激動の年になったことにも何か運命的なものを感じざるを得ない。ベッドルーム・ミュージックが全米ヒットチャートに接続され、J-Popが「キャラ」(VOC@LOIDやアバター化したアーティスト)に侵食されている今こそ広く読まれるべき一冊だ。同筆者による『ネットワーク・ミュージッキング : 「参照の時代」の音楽文化』(2009年)も併せてぜひ。(清家咲乃)


 

『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』

著者:ソーレン・ベイカー(訳:塚田桂子)

DU BOOKS / 2019年

こんな本がもっと早くあれば良かったのに! と思わず勝手を言いたくなる1冊を選びました。内容はタイトル通りギャングスター・ラップの歴史を辿るものですが、著者の誠実さに裏打ちされた文章と、引用されたたくさんのラッパーの声(そのエキサイティングな言葉遣い!)のコントラストが実に鮮やか。また、訳者である塚田桂子さんも解説に書いていますが、ケンドリック・ラマーの表現をギャングスター・ラップと見なす本書は彼の作品の持つ非常に重要な側面を浮き上がらせているはずです。(高久大輝)


 

『踊る目玉に見る目玉―アンクル・ウィリーのザ・レジデンツ・ガイド』

著者:アンクル・ウィリー(訳:湯浅恵子)

文遊社 / 1995年

TikTokでの使用を目的にした15秒程度の楽曲だけを作る音楽家たちが一つのシーンを形成していて、とっくに時代はザ・レジデンツ『The Commercial Album』(1980年)やティエラ・ワック『Whack World』(2018年)の先にいっていることを実感する昨今。それ以外にも、レディオヘッドのPS4での『KID A MNESIA』エキシビション(2021年)からも、ザ・レジデンツの映像・ビデオゲームにおよぶマルチメディア活動を連想したり。32年ぶりの来日公演が発表された時点で漁った、彼らの膨大なディスコグラフィーとこの書籍は、当時学生だった自分の耳と知識欲を存分に刺激してくれ、この経験は大切な財産になっています。(髙橋翔哉)


 

『魂(ソウル)のゆくえ』

著者:ピーター・バラカン

アルテスパブリッシング / 2008年(改訂増補新版)

20歳の頃、ロックの名盤として数えられているようなソウルやファンクのアルバムをちょろちょろと聴きつつ、この世界にはもっと自分好みのブラック・ミュージックが絶対に存在するはずだと考えていた。しかしどこから手を付けて良いのかわからない。ピーター・バラカンの『魂(ソウル)のゆくえ』がビギナーにはうってつけという情報をネットで目にしていたが、絶版になっており、入手するのが難しい状況にあった。そんな折、新装版が出ると聞いた。入手しない手はない。果たして『魂のゆくえ』は、自分にとっての「ブラックミュージックの歩き方」となった。この本がなければ、リスニングライフ、ひいては人生そのものも全く異なっていたはず。(鳥居真道)


 

『High Fidelity』

著者:ニック・ホーンビー(訳:森田義信)

新潮社 / 1999年

主人公は自意識過剰で皮肉屋の35歳。浮気と借金で彼女にふられた。中古レコード店を経営しているが、最近では音楽への情熱も怪しい。そんなまあまあのクソ野郎に訪れた、長すぎた思春期の終わり。私がこの小説を読んだのは就職直前の22歳。俺にもせめてこの物語の結末みたいな未来があればいいなと心のどこかで思いながら生きてきて、気がつけば主人公の年齢を超えていた。当時の自分には、結局お前は音楽から逃れられないし全てを諦めた後で始まる何かもある。だからレコードは手放すな。残念ながらクソみたいな性格はそのままだけど、なんと老いぼれるのは悪いことばかりでもない。つまりこの本に間違いはないよ、と伝えてやりたい。(ドリーミー刑事)


 

『ハリー・ニルソンの肖像』

著者:アリン・シップトン(訳:奥田祐士)

国書刊行会 / 2017年

一番好きなシンガー・ソングライターの伝記が2段組400ページ超えの重量本で存在することの喜び。本秀康による表紙装画の素晴らしさ。書名は1969年のアルバム『Harry』の邦題から。3オクターヴ半の声域同様の激しい浮き沈みのある人生が詳細に記述されている。幼年期の父との別れ。銀行勤務の経験。稀代のソングライターでありながら、生涯の二大ヒット曲は共にカヴァーであることの皮肉。ビートルズのメンバーとの浅からぬ関係。ライヴを一切行わなかったこと。数々の悪い習慣。ある時代の向こう見ずなひとりの人間からこうして美しい曲が生まれ、歌われ、遺され、それをいま聴くことができるということの不思議さをあらためて噛みしめる。 (橋口史人)


 

『Rap Attack 2: African Rap to Global Hip Hop』

著者:David Toop

Serpents Tail / 1991年

即興/実験音楽のシーンで活動していたデイヴィッド・トゥープがニューヨークに出向き初期ヒップホップの現場を取材して書き上げた本書を、辞書を引きながら読んだ。原書を読むのは苦手で途中で投げ出してしまうのが大半だが、これは読んだ。まだ誰も知らなかったヒップホップ黎明期の情報量の多さに圧倒されたが、1940年代のラジオのMCやDJも、ナイジェリアのグリオも繋がっていく展開に、音楽を掘る行為と思考が重なり、自分が書き手として得たものも大きい。初版は1984年で、手元にあるのは1991年の第2版。1999年に第3版が出た(翻訳も出ると言われたが結局出なかった)。トゥープはその後ヒップホップについては書いていないが、プレイボーイ・カーティを「最高にアヴァンギャルドな音楽」と最近も言っている。(原雅明)


 

『ビートルズ』

著者:ハンター・デイヴィス(訳:小笠原豊樹、中田耕治)

草思社 / 1969年(河出書房から2010年に増補完全版発売)

原宿竹下通りは17歳の私にとって女子高生だったからという以上に特別な意味があった。ビートルズ・グッズ専門店《GET BACK》があったのだ。熱病に侵されたようにその音楽にハマっていた私には紛れもなく天国だったあの場所! 音源だけで飽き足らず、あらゆる情報源を漁っていた当時、《GET BACK》で見つけた古本の『ビートルズ』。彼らの評伝で唯一バンド現存時の本人達を中心に直接取材された公認本で、ポールが当時の彼女とグレーヴィーソース好きという共通点で親しくなったなんて本当に小さなどうでもいい話すら愛おしかった。頁の間に見つけた古いビートルズ記事スクラップに時を超えたファンのご縁を感じた宝物のような一冊だ。(Yo Kurokawa)


Text By Sho OkudaHitoshi AbeRyutaro AmanoJunnosuke AmaiYo KurokawaYusuke SawadaHaruka SatoYuko AsanumaYusuke SatoKenji KomaiShoya TakahashiMasaaki HaraYuta SatoSakuno SeikeTatsuki IchikawaMasamichi ToriiKenichi OguraSuimokuFumito HashiguchiKMShinichi SugawaraDreamy DekaTsuyoshi KizuShino OkamuraYuji ShibasakiKei SugiyamaNami IgusaDaiki TakakuYasuyuki OnoSinpei Kido

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