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映画『サマー・オブ・ソウル』
〜美しくもシビアな過去と現実が託した希望

30 August 2021 | By Shino Okamura

劇中、猛烈に印象に残る場面がある。取材にきていたレポーターが「まさに今日、人類が月に着陸をしましたが、それよりこのフェスの方が大事ですか」とマヌケな質問で客にマイクを向けるシーンだ。オーディエンスの一人は頷いてこう言う。「月に行くカネでハーレムの貧困層を助けられた」。その通り! 演奏シーンではないが、思わず立ち上がって声をかけたくなる、本作きっての名場面だ。と同時に、こうした不条理は今も厳然としてある、というジレンマもそこに感じ取ることができるだろう。貧困どころか、黒人というだけで殺められてしまう事件が今も日常的に起こっている、50年経っても変わらない現実が胸に痛い。

だから、とても美しい映画ではあるが、同時に、シビアな現実に立ち返らせる作品だ。劇中、グラディス・ナイトが語る「黒人であることを誇りに思うべき」というコメントに対し、ただただ大きな拍手を送りたくなるし、自分もブラックとしてここにいたかったなどと無邪気に思う一方で、なぜ私たちはこれまで1969年の夏は《ウッドストック》の夏だとしか聞かされてこなかったのだろうかと悔しくなる瞬間がこの約2時間にある。

1969年の夏──6月29日、7月13日、7月20日、7月27日、8月17日、8月24日の6回に渡ってニューヨークはハーレムのマウント・モリス公園(現在のマーカス・ガーヴェイ公園)で開催された《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》の模様を中心に、関係者やアーティストの証言、当時参加していた客の話、当時のニュース映像などを交えて構成されたドキュメント映画『サマー・オブ・ソウル』。副題に“あるいは、革命がテレビ放映されなかった時”とつけられているように、いみじくも、アポロ11号による月面着陸が世界に衛星中継されたまさにその日(7月20日)に(も)行われていたこのフェスの様子が、テレビ放映どころか、その後約50年にも渡りお蔵入りとされていた皮肉と抵抗をそのまま表している。

出演しているのはおおよその順に、スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、レイ・バレット、フィフス・ディメンション、デヴィッド・ラフィン(元テンプテーションズ)、ゴスペルのステイプル・シンガーズとマヘリア・ジャクソン……と続き、マックス・ローチやヒュー・マセケラといったジャズ・プレイヤーやラテン系アーティスト、そして後半〜終盤はハイライトであるニーナ・シモン、スライ&ザ・ファミリー・ストーンが登場する。3ヶ月6回に渡って行われていたので実際の出演順はこの通りではないが、当時、ここまで多くのブラック・ミュージック・アーティストが出演する野外フェス(イベント)などほとんどなかったことを考えると、歴史的にみてもいかに驚くべき出来事だったかがわかるだろう。出演者はジャンルやエリアを超えているし、しかも入場無料(Maxwell House Coffeeというメーカーがスポンサーだった)とくれば、会場に約5万人が集まったのも当然と言える。映像を観る限り客のおよそ99%は黒人。町中での開催だったこともあり、地元ハーレムの住民たちは歩いて会場までやってきたようだし、中には「買い物にいく」と親に嘘をついてまで駆けつけた学生もいたようだ。だが、そこに映し出された老若男女は、その場で一緒になって踊ったり歌ったりとみな生き生きとしている。演奏シーンの合間合間に挿入される、人間らしさ、生きる歓びを噛み締めているような黒人オーディエンスたちの豊かな表情は、ある意味、劇中のどのパフォーマンスよりも輝いていると言ってもいい。その点で、同じ年、同じ夏に、そう遠からぬ同じアメリカ東海岸で開催された《ウッドストック》の客の多くが、愛・平和・反戦の旗印のもとに集ったヒッピーたちだった事実とは対照的だ。

《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》に集まったオーディエンスたち



尤も、《ウッドストック》とはそもそもの意味合いが全く違う。たまたま同じ1969年夏の開催だったとはいえ、この《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》の背後にあるのは公民権運動……すなわち人種差別と戦うアフリカ系アメリカ人たちの長きに渡る歴史だ。クー・クラックス・クランなど白人至上主義団体によるリンチや冤罪事件、それに抗う数々の衝突を繰り返しながら人権獲得を目指して闘ってきたアフリカン・アメリカンたち。1963年にジョン・F・ケネディ大統領が、1965年にマルコムXが、1968年にマーティン・ルーサー・キング牧師とロバート・ケネディ上院議員が暗殺……と指導者、理解者たちの命が次々と奪われた60年代の最後の年に、毎年小規模ながら開催されていたという《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》がここまで盛大に行われたことは大きな意味を持っていたと考えられる。企画をしてスポンサーに働きかけたのが黒人ラウンジ・シンガーでプロモーターのトニー・ローレンスなら、コンサートのサポートにはブラック・パンサー党も関わっていた。そしてもちろんステージにはビッグネームたちが目白押し……。ある種、アフリカン・アメリカンのパワーを総結集させたような69年ハーレムの夏だったのだ。

そして実際に、“まるでアフリカの女王”と讃えられたニーナ・シモンの「Backlash Blues」や、ステージに登場するや観客が一気に押し寄せたスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「I Want To Take You Higher」など迫力と気力に溢れるパフォーマンスが、黒人音楽史上貴重な映像であり、アフリカン・アメリカンによる公民権運動の一つの記録でもある本作のハイライトであることは間違いない。鍵盤から離れ、ハンドマイクで舞台前方まで出ていくスライを、オーディエンスが目でしっかり追いかけていく場面は、新しい時代のリーダーの誕生のようにさえ見えたほどだ。だが、それ以上にこのドキュメント映画を観た上で筆者が改めて特筆したいのは、ブラック・ミュージックがそもそも持っていた柔軟で裾野の広い多様性の萌芽である。

ポイントになるのは前半に出てくるフィフス・ディメンションだ。デビュー当初からジミー・ウェッブやローラ・ニーロの曲をポップなタッチで披露していた男女混合コーラス・グループである彼らは、ちょうどこのフェスの開催前に「Aquarius / Let the Sunshine In」で全米6週連続1位を獲得している。この曲はミュージカル『Hair(ヘアー)』の最初と最後の曲のメドレーとなるもので、レコーディングにはドラムのハル・ブレインなどいわゆるレッキング・クルーのメンバーが参加していた。いわば、ソウルやゴスペルと、ポップスやロックンロールとの合流点にいた、そんなグループである。一部で白人グループだと誤解されていたり、「黒人らしくない」と揶揄されたりもしたそんな彼らは、しかしながら、「音と肌の色は関係ない」ことを主張するかのようにニーナ・シモンやスライと同じこの《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》のステージに立ち、「Aquarius / Let the Sunshine In」を歌ったのだ。

メイヴィス・ステイプルズとマヘリア・ジャクソン



そしてもう一つポイントになる場面は、この日、憧れのマヘリア・ジャクソンと共演したメイヴィス・ステイプルズの証言だ。マヘリアの迫力に圧倒されながらも堂々とマイクを手にする当時の映像を、現在のメイヴィスらが懐かしそうに、でも、強い眼差しで観ながら振り返る。ゴスペル/ソウルのグループなのにブルーズのイベントに呼ばれることが少なくなかったことについて、当時、メイヴィスは「なぜ?」と父・ローバックに訊ねたのだという。父は答える。「(ステイプル・シンガーズには)いろんな音楽の要素があるからだよ」。当時(いや、今もだが)アメリカで黒人であることのストレスは想像を絶するものだったはず。それに対してゴスペルが癒しになりうるのだという解釈も加えた上で、メイヴィスは自分たちのやってきた音楽が複合的で越境していたことを誇らしく語るのである。

そこでふと筆者が頭に浮かべたのが、モーゼス・サムニー、サーペントウィズフィート、イヴ・トゥモアといった、クイアーとも言われる今日の新たなブラック・ミュージシャンたちだ。ジャミーラ・ウッズ、ニナ・アンドリュース、アーロ・パークス、あるいは、ブラッド・オレンジ(デヴ・ハインズ)、バーティーズ・ストレンジあたりを想像してもらってもいい。そしてもちろん、ジャネール・モネイやケンドリック・ラマー、フランク・オーシャンが体を張って切り開いてきた土壌の影響力は絶大だ。今日、それがさも当たり前のように、私たちは昔ながらのストレートなブラック・ミュージックとは一味違う、フレキシブルなアーティストとしてのアフリカン・アメリカンの活躍に心を踊らされている。当時「黒人らしからぬ」と言われたフィフス・ディメンションの時代からは考えられないほど、現在はくだらない「らしさ」を壊して多様な音楽性を行き来させるブラック・アーティストが年々増えているということでもあるだろう。もちろん、そうしたクロスオーバーの原点がこの映画にある、とは言わないし、それこそ源流を辿るならもっともっと前の時代に遡っていかねばならない。それに60年代には何と言っても、この《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》には出演していないが、その予定もあったというジミ・ヘンドリクスという絶対的なオリジネイターでありアイコンがいた。そして、ここに出演しているスライ&ザ・ファミリー・ストーンはドラマーとサックス奏者が白人なのだった……。

だが、ポジティヴな存在としての白人がほとんど登場しない(そのスライ〜のドラマーとサックス奏者、そしてリベラルな思想と活動で黒人たちから信頼を得ていた当時のニューヨーク市長のジョン・リンゼイくらいか)この作品が伝えてくれるのは、現在までしっかりとバトンが渡されてきたアフリカン・アメリカン・アーティストのヴァリエイションの豊かさだ。その点においても、この作品を監督したのが、ヒップホップ・グループ「らしからぬ」生バンド編成のザ・ルーツのアミール“クエストラブ”トンプソンであることは大きな意味を持っている(彼は既に次なる監督作へと意欲的に動いているという)。

あれから50年。もちろん、劇的に黒人たちの暮らしが改善され、人種差別、貧困問題がなくなったわけではなく、それどころか再びここにきて勃発、#Blacklivesmatter に見られる社会現象にまで発展しているのは今更説明するまでもない。筆者はこの映画を観ている中で、デヴィッド・バーンのブロードウェイでのパフォーマンスを収録した映画『アメリカン・ユートピア』(監督:スパイク・リー)のあの一場面を思い出さずにはいられなかった。人種的暴力により亡くなったアフリカ系アメリカ人の名前が連呼される、ジャネール・モネイの「Hell You Talmbout」を激しく披露したあのシーンを。

カメラまで入り鮮明な画像でしっかり撮影されておきながら、いくつかの配給会社に持ち込んでも好ましい反応が得られなかったという理由でそのままお蔵に入ってしまったというこの『サマー・オブ・ソウル』。半世紀を経て“目覚めた”この作品の持つ意志や、私たちに訴えかけてくる行動力は、逞しく泥臭く、気高く眩しく、しかしながら、アメリカ社会においては依然として厳しい。だが、未来は絶対にある。きっとある。クエストラブがこのフィルムに刻んだ、そしてウィットに溢れたエンドロール後のあの一コマが伝えるメッセージにはそんな希望が託されている。(岡村詩野)



※トップ写真はニーナ・シモン

The Harlem Cultural Festival in 1969, featured in the documentary SUMMER OF SOUL. Photo Courtesy of Searchlight Pictures. © 2021 20th Century Studios All Rights Reserved

Text By Shino Okamura


映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』

8月27日(金)全国公開

監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン
出演:スティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、フィフス・ディメンション、ステイプル・シンガーズ、マヘリア・ジャクソン、ハービー・マン、デイヴィッド・ラフィン、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、モンゴ・サンタマリア、ソニー・シャーロック、アビー・リンカーン、マックス・ローチ、ヒュー・マセケラ、ニーナ・シモン
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
© 2021 20th Century Studios. All rights reserved.

公式サイト

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