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【未来は懐かしい】Vol.24
ニューエイジと「ワールドミュージック」の蜜月
フランスの兄弟ユニットUMANのDIY的実践

15 October 2021 | By Yuji Shibasaki

UMANは、ディディエ・ジーンとダニエル・ジーンからなるフランスの兄妹ユニットだ。一般的な知名度は低いかもしれないが、本作に収められている「UMAN Spirit」が(「The White Spirit」という曲名へ改められた上)、《Windham Hill》の『Path (An Ambient Journey From Windham Hill)』(1995年)等、様々なコンピレーションへライセンス収録されており、ニューエイジ系のファンの間ではそれなりに名の通った存在といえる。1994年にはメジャーの《Philips》から、後の1997年には英《Island》傘下のワールドミュージック系レーベル《Six Degrees Records》からアルバムをリリースし、日本にも輸入盤が流通していたようなので、それらをお持ちの読者の方は当時を懐かしく思い出されるかもしれない。

本作『Chaleur Humaine』は、そうした「メジャーなリリース」から遡る数年前、1992年にフランスのローカルレーベル《Buda Musique》から発売された兄妹のデビュー・アルバムだ。のちに、エチオピアのポピュラー音楽を紹介する名シリーズ“Éthiopiques”で名を成すワールドミュージック系の《Buda Musique》から発売されたということからもわかる通り、この時期(1990年前後)は、ニューエイジ・ミュージックと、いわゆる「ワールド・ミュージック」の受容状況が合流し、実作においても様々な折衷例が成功を収めていた。代表的なところでは、ケルト音楽の諸要素を発展的に受け継ぐ独自の電子音楽を大成させたエンヤ、世界各地の民族音楽を融通無碍にサンプリングしたトラックで大ヒットを飛ばした(と同時に、そのサンプリング手法が「文化の収奪」ではないかという批判も浴びた)フランスのディープ・フォレストなどが挙げられるだろう。

UMANも、一応はこうした大きな潮流の傍らに登場したユニットと捉えられるだろう。グレゴリオ聖歌をルーツの一つに持つというダニエルのヴォーカルは、同時期に人気を博したニューエイジ界のスター=エニグマの作品と通じるように感じるし、ハミング主体の歌唱スタイルはエンヤのそれとも親しい。片や、ディディエのルーツにはジャズやプログレッシヴ・ロックがあるようで、案外ポップなメロディーが顔を出す瞬間も多いし、リズムの構造もポピュラー音楽の常道を大きく外れるものではない。そのあたりも多くのニューエイジ系作家の経歴と重なっていると言える(他方、現在に至るまで、「ちゃんとした」クラシック音楽のエンジニアとしても活動している人物でもある)。また彼は、UMANの活動を始める以前から盛んにフィールド・レコーディングを行っており、膨大なサンプル・ライブラリーを有していたという。実際、本作でもその音源が使用されており、こうした方法論もディープ・フォレストのそれを思わせるところがある。そもそも、‘UMAN’というユニット名も、彼が読んだネイティブ・アメリカンに関する本にあった「大地の力」を意味する語から引かれているのだという。

たしかに、「時の流行」との共振を強く感じさせるとはいえ、他方でUMANの音楽には、それらメジャーなものにはない、特有の親密さや実験精神が溢れているようにも感じる。あくまで自らが思い描く音楽に忠実であろうとしているという意味でDIY的であり、クリエイティヴィティの着実なコントロールぶりゆえの抑制的な質感が全体を貫いているのだ(本作の制作は《Buda Musique》との契約前から兄妹の所有するプライベート・スタジオで進められ、原盤権も彼ら自身が保有している)。エンソニックのサンプラーを駆使して作られるサウンドには、ディープ・フォレストのそれのように「演出的」で「こなれ過ぎた」ものでなくて、サンプリングという技法が本来持つ任意性を自覚しそれを強調するような鋭角的なチョップ/ペーストが散見される。だからといって、いわゆる「ローファイ」な音像に甘んじているわけでなく、電子楽器や生楽器の音は極めて艷やかで、リッチだ。こういった視点で本作を聴きながら思い出すのは、ブライアン・イーノとデヴィッド・バーンによる歴史的なコラボレーション作『My Life in the Bush of Ghosts』(1981年)だったりするわけだが、何か直接的に共通する音楽要素があるとは言わないまでも、『Chaleur Humaine』こそは、かつてイーノ&バーンが実践した繊細なサンプリング倫理(彼らもまた、コーランの一節をサンプリングしたことに対して抗議を受けたわけだが)とディープ・フォレスト的な「無意識(の搾取)」の間で真摯に揺らぐミッシングリンクなのだ……と評してみたくなる。その「倫理」は、様々な国々の話者をサンプリングではなく実際に招いて、マントラ的なキーセンテンス=「この力(引用者注:大地の力=UMAN)は、ほとんど動物的で、暖かく、キスのようで、朝露のように新鮮で、人間の暖かさと呼ぶにふさわしい」を、多言語で散りばめていることからも察される。

ところで、本作のリイシューを手掛けたのは、昨今のニューエイジ・リバイバルや気鋭のアンビエント・シーンを牽引してきた《Rvng Intl.》の傘下レーベル《Freedom To Spend》だ。同レーベルは、本連載の2019年年間ベスト特集でも取り上げたアーネスト・フッドの『Neighborhoods』を始めとして、ティツィアーノ・ポポリ、リマリンバ、竹間淳など、各地の(一般的には広く知られていない)アーティストの作品をミニマル〜アンビエント〜アヴァンギャルド的な視点から再発掘し、ここ最近のリイシューシーンでもひときわ今日性の高い仕事を行ってきた。今回のUMAN『Chaleur Humaine』のリイシューも、単なる「ワールドミュージック風ニューエイジ」の発掘でなく、同レーベルならではのクラブミュージック的視点による再文脈化が企図されていることが重要だ。2019年に、米国在住のディガー=ディエゴ・オリヴァスのブログ《FOND/SOUND》で本作が取り上げられ、称賛されたのも大きかったはずで、実際にオリヴァスは今回のリイシューのライナーノーツも担当している。その中で、類似するアーティストとして彼が挙げているのは、イタリアのサンプリング・ミニマリスタ=ジョヴァンニ・ヴェノスタ、ジム・オルークも敬愛を捧げるポルトガルの作曲家=ヌーノ・カナヴァーロ、バハマのコンパスポイント・スタジオの鍵盤奏者=ウォリー・バダロウだ。一見ジャンルはバラバラに思われるが、バレアリック視点のニューエイジ・リバイバルを通過した今日の聴取感覚においては、さもありなんという例示だ。彼らもまた、どこか「DIY的」という点で共通しているように感じられるし、ワールド・ミュージック的要素への抑制的かつ冷静な距離感という点でも通じ合っているように思う。とはいえ一方で、『Chaleur Humaine』は、それらのアーティストと比べても一層ノーブルな(それはグレゴリオ聖歌やロマン派のクラシックにも親しんできた兄妹の遍歴に負うところが多いのだろう)色彩が色濃く、より端正だとも感じるわけだが。

ニューエイジ・ミュージックとワールド・ミュージックの接近という潮流は、ある視点から見れば確かに一過性の流行に過ぎなかったのかもしれない。しかし、その流行の内部や傍らにはプライベートな規模で取り組まれた真摯な実践が少なくないはずだし、その中には、今や歴史の流れに埋もれてしまった作品も多々あるだろう。もしかすると、そうやって一旦は歴史の遠近法によって背景に退けられてしまった作品のほうが、当の潮流の歴史的意義(や、時には問題点)をかえって鮮やかに浮かび上がらせてくれることもあるかもしれない。その時、今日的な視点によってそれらをパッケージして改めて提示するリイシューという営みの重要性は一層際立ってくる。たとえそれがおなじみの「クラブミュージック的視点から」だったとしても、だ。心地よく耳をほぐしつつ、知的探求にも誘ってくれるという意味で、『Chaleur Humaine』の再発掘は、そのもっとも好ましい例の一つと言える。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


UMAN

『Chaleur Humaine』



2021年 / Freedom To Spend


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柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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