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エンディングの要らない、変わりゆく『モダン・ラブ』

05 October 2021 | By Tomoko Ogawa

愛のなんたるかはこれまでも多くのドラマで語り継がれてきたが、いずれの愛のかたちも同じではなく、そこにひとつの正解はなかった。しかしながら、ラブ・ストーリーにおいては、恋の成就、結婚、出産という結末が、長らく“ハッピー・エンディング”として描かれてきた。ただ、そうした選択が、現実では単純に「Happily ever after(いつまでも幸せに暮らしましたとさ)」では済まないこと。ジャド・アパトーが製作指揮を務めたNetflixオリジナル・ドラマ『LOVE/ラブ』(2016年〜2018年)にこんなシーンがある。同棲していた恋人にフラれた主人公のガスが、創作のロマンスなんて嘘っぱちだと映画『恋人たちの予感』(1989年)、『プリティ・ウーマン』(1990年)、『カラー・オブ・ハート』(1998年)などのDVDを車窓から次々に投げ捨てる。彼の行動が象徴するように、誰かと一つの結末を迎えても生活は続くという現実がわかりきっている現代では、物語が見せる愛は現実のそれとはややかけ離れた遠い存在になってしまった。個人の幸せのあり方や人間関係が多様化する中で、愛の表現は複雑さも含め等身大なものとして、もしくはファンタジーに振り切れたものとして二極化して描かれるようになった。前者の場合、物語を信頼性のあるものにするために重要な地盤となるのは、当事者の語りに耳を傾けることだ。

『Modern Love』は、ニューヨーク・タイムズ紙で2004年から約17年続く人気週刊連載コラムである。世界中の読者から大量に届く愛をテーマにしたパーソナルなエッセイの中から、担当編集者のダニエル・ジョーンズが語られるべき物語を見つけ、世に送り出してきた。2年で終わるはずだった連載は人気を博し、書籍化され、アニメーションやpodcast番組にもなり、2019年には『モダン・ラブ~今日もNYの街角で~』として製作総指揮ジョン・カーニー(数エピソードの脚本・監督も担当)のもとドラマ化までされた。

映画『ONCE ダブリンの街角で』(2006年)、『はじまりのうた』(2013年)、『シング・ストリート 未来へのうた』(2015年)を手がけ、音楽映画の名手として知られるカーニーだが、アイルランドのバンド、ザ・フレイムスの初代ベーシスト(1990年〜1993年)であり、バンドのMVなどを監督していたことでも知られている。自身の体験や感情を反映し、音楽への愛(とときに憎しみ)、音楽を取り巻く人間たちをリアリティを持って描いてきた彼にとって、『モダン・ラブ』は最適な題材だったと言える。愛について本音で語るとき、人は最も脆い、傷つきやすい部分をさらけ出すことになる。パーソナルな物語であるがゆえに、型にはめることなくひとりひとりの傷口に寄り添う。そんな優しい眼差しがカーニーにはある。

全8話のオムニバス形式のドラマ『モダン・ラブ』は、終わりに向かって走ることを求めない。まずどこから始めてどこでやめてもいいという優しさがある。30分1話完結のため、朝1杯のコーヒーを片手に読むコラムと同等のライトなボリューム感もまた優しい。現代のニューヨークシティを舞台にしたシーズン1は、クリスティン・ミリオティが演じる一人暮らしの書評家マギーと、彼女のデート相手を一瞬で品定めするアパートのドアマンのグズミンの、他人同士による家族や友人のような関係を綴る「私の特別なドアマン」から始まる。アン・ハサウェイが、アップダウンする主人公の心情を丁寧にリアリティを持って演じる、職場でも恋愛でも双極性障害であることを打ち明けられない弁護士のレキシーが自分の弱い部分をさらけ出すまでのエピソード「ありのままの私を受け入れて」も印象的であった。

去る2021年8月に配信された待望のシーズン2では、『ONCE ダブリンの街角で』から引っ張りたかったのだろうという副題「~今日もNYの街角で~」がしれっと姿を消しているが、その理由はシーズン2の舞台がニューヨーク州のいくつかの都市、そしてアイルランドのダブリンへと広がったことにある。ニューヨークに限定しないことで、場所性とは関係なく今を生きるどこの国の誰にでも起こり得る物語である、とカーニーは伝えたかったのではないだろうか。年齢、人種、性的指向、住んでいる地域もさらに多様化した作者たちの実話は、さまざまなバックグラウンドを持つ豪華キャストによって実体を持ち、真実味のある映像となって届く。

シーズンの中で最も『モダン・ラブ』らしいとも言えるのが、キット・ハリントとルーシー・ボイントン主演でコロナ禍の出会いが綴られていた「(ダブリンの)見知らぬ乗客」だろう。列車の中で意気投合した二人が、携帯番号を教え合うことなく交わした再会の約束が、ロックダウンによって危ぶまれてしまう、というまさに『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』(1995年)の現代版だ。惹かれ合う彼らに向けられた乗客の即興の演奏に対して、うっとりした表情をいっさい見せることなく、「(変で)驚いた」と若干引いている二人の描写も今っぽい。ギャレッド・ヘドランド演じる妻に浮気された元兵士が、アンナ・パキンが好演する同じ傷を抱える浮気相手の妻と親交を深めることで、戦争のPTSDという鎧を少しずつ外していくまでを描く「こじれた夫婦の待合室」も、男らしさの呪縛から解き放たれ、男性が感情について語ることが重視される現代のドラマであった。そして、ニューヨークの街角で、一夜を共にした元デート相手と遭遇し、それぞれの視点で回想が始まる「ぼくのこと覚えてる?」も忘れてはいけない。このエピソード、ドラマ「GIRLS/ガールズ」(2012年〜2017年)のイライジャ役で知られるブロードウェイ俳優、アンドリュー・ラネルズが執筆し、2017年に掲載されたエッセイがベースとなっている。ラネルズ自身が脚本、監督を手がけていることにも注目したい。

『モダン・ラブ』がいわゆるラブ・ストーリーと一線を画すのは、ハッピーでもバッドでもなく、エンディングが開かれているところにある。誰にも言えない秘密があっても、打ち明けられる誰かは近くにいるかもしれない。恋人にはなれなくても、友人として想いを寄せていた相手と人生を共にすることはできるかもしれない。連絡先のわからない相手でも、行動すれば再び会えるかもしれない。自分だったら、そのとき、どうしたい?という問いをポンと投げつつ、ほんの少し想像の余白を残して、エピソードは幕を閉じる。なぜなら、自分や相手、関係性をどう捉えるかで、愛のかたちは変化していくものであり、限られた尺の中での結末はさておき、関係性の顛末がどうなるかは誰にもわからないからだ。

分断が進み、悲しみ、怒り、不安、ストレスを抱える現代社会で生きるうえで、メンタルヘルスのためのセラピーやカウンセリングは欠かせないものとなりつつある。自分について語るナラティブや対話も、セラピーの一種と言える。枠の中にはまらない人が苦しむカテゴライズも、幸福や不幸のイメージを先入観として植え付ける起承転結をつけることもしない。変容することを前提に語り手自身が紡いでいくような、開かれた物語がまた心のケアを促すのだ。それゆえ私たちは語るべき話を、語ることができる場所を求めるし、さまざまなナラティブを聞くことで、無理矢理片付けずに相手のタイミングに委ねるという優しさや、違いを抱えながら共にいる在り方を知る。《NewYork Times》紙の『Modern Love』にはこう説明文がある。「人間関係、感情、裏切り、啓示について書かれています」。愛のなんたるかは年齢を重ねても未だよくわからないし、言葉で説明できる気もしない。ただ、複雑で厄介で流動的で思うようにはならないものであることだけはわかる。だからこそ、切り離せない喜びと苦しみの感情が存分に語られる『モダン・ラブ』はこんなにも面白いのだ。(小川知子)

Text By Tomoko Ogawa


『モダン・ラブ』シーズン2

Amazon Prime Videoにて好評配信中

監督:ジョン・カーニー
出演:ベンガ・アキナベ/スーザン・ブラックウェル/ルーシー・ボイントン/トム・バーク/ゾーイ・チ ャオ/マリア・ディッジア/ミニー・ドライバー/グレース・エドワーズ/ドミニク・フィッシュバッ ク/キャスリン・ギャラガー/キット・ハリントン/ギャレッド・ヘドランド/ニッキー・M・ジェーム ズ/ゼイン・パイス/アンナ・パキン/ミラン・レイ/ジャック・レイナー/ミランダ・リチャードソン/マークィス・ロドリゲス/ジェームズ・スカリー/スザンナ・シャコフスキー/ルル・ウィルソン/ジーナ・イー/トビアス・メンジーズ/ソフィー・オコネドー
話数:全8話
製作:アマゾンスタジオ
© Amazon Studios

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