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リトル・シムズ最新作
『Lotus』クロス・レヴュー

07 June 2025 | By Shoya Takahashi / Daiki Takaku

自らの存在を肯定するラップの力

リトル・シムズというラッパーについて、私は誤解していたのかもしれない。前作『NO THANK YOU』がサプライズでリリースされたことの印象が強かったせいかもしれないが、いずれにせよ彼女にはまだ言いたいことがあり、彼女のクリエイティヴィティは際限なく広がり続けるだろう、そんなことを思っていた。

だから、12曲目に収録された「Lonly」でシムズがスランプに陥った状態をラップしているのは意外という他なかった。さらに言えば、真に胸中を明かしたであろうその言葉は非常に重たいのである。「ラップでなくて演技に打ち込むべきかも/もう自分がどうなりたいかさえ分からないのだから」(『トップボーイ』などで知られている通り彼女には役者の顔もある)。

もう一つのサプライズは、これまで『Grey Area』(2019年)、『Sometimes I Might Be Introvert』(2021年)、『NO THANK YOU』と傑作と呼ばれることの多い作品をシムズと共に作り上げてきたプロデューサーのインフローが本作『Lotus』に関わっていないことだ。なんでも、金銭的なトラブルでシムズがインフローを訴えているとのことで、少なくとも現状では長く続いた両者の関係性に亀裂が入った状態であるのは間違いないだろう。インフローが中心となっているソーや、彼がプロデューサーを務めた(彼のプライベートのパートナーでもある)クレオ・ソルの作品も愛聴してきた身として非常に残念なニュースであったわけだが、クリエイティヴ・パートナーとして共に歩んできた人に裏切られたシムズの心中は想像するのも難しい。それにインフローの存在なしでこれまでの作品を超えるアルバムを制作しなければならないという状況、周囲からの期待も相当なプレッシャーであったに違いない。

『Lotus』には、そうして追い込まれたシムズによる力強い決断がまざまざと刻印されている。Kokorokoなどとも仕事をするプロデューサーのマイルス・クリントン・ジェイムズと共にスタジオに入り、彼女はそういった状況で抱える猜疑心や不安も含めて率直に書き起こしていったのである。

おそらく現在揉めている相手(あくまで名指しではない)に青く燃える怒りをぶつける「Thief」、オボンジェイヤーとムーンチャイルド・サネリーを招いて自らの心を沈めるように言葉を叩きつけていく「Flood」、愛で恐怖に打ち勝つと告げる「Free」、「がんばるのをやめたりしない/まさか/だって私にはそれだけの価値があるから/心の平和を取り戻さなくちゃ」と自らの価値を問い直す「Peace」など、ここでシムズは極めてパーソナルでありながらも自らの持つさまざまな表情をありのままに開示し、自らを取り戻していくようにラップしている。要するに『Lotus』は彼女の回復の過程であり、それを自らレポートしたものなのだ。ゆえに、本作はラップというアートフォームの持つリアリティ、そして根源的な自己肯定のパワーを溢れんばかりに宿して輝いているのである。そこにあるシムズの姿は、ラップを通して自らの価値を知らしめようとしていた彼女のキャリアの初期の姿と重なって見えてきたりはしないだろうか。(高久大輝)


非耳馴染み派宣言

最初の先行シングルであるポストパンク・チューン「Flood」を聴いた時点で、わたしはリトル・シムズの新作『Lotus』が彼女のいくつかのヒット曲に象徴されるネオソウル的な“耳馴染みのよさ”から逸脱したものになると確信していた。そしてその通りになった。「Flood」のポストパンク性は、Shitdiscoの「I Know Kung Fu」(ポストパンクというよりニューレイヴだけど)に喩えられるような太鼓によるダンサブルな反復と、それを補強する打楽器的に叩かれるベースの重ね合わせによる強烈なビートにある。ナイジェリア出身のオボンジェイヤーと南アフリカ在住のラッパー=ムーンチャイルド・サネリーが参加し、アフロビーツ文脈でリズムが強調されたトラックには、近年のUKポップ・ミュージックを特徴づけてきた“ベースライン”は皆無だ。フロアを踏みしめる足だけに奉仕しつくしている。

その後の「Young」もポストパンクの風味を帯びている。かつての「Selfish」(2019年)や「Little Q, Pt.2」(2021年)といったネオソウル寄りのスムースな楽曲でもタイトなドラムスは聴かれたが、この「Young」はこれまでの生ドラム系楽曲のパターンを破り、スネアのディケイを極端に短くしている。鋭角なギターのカッティングが飛び出し、MVでは彼女がライヴハウスでベースを弾きながら歌う姿が映し出される。ラップやネオソウル系のアーティストがポストパンク的なサウンドを取り入れる例は、パンデミック以降、Genesis Owusuの『STRUGGLER』(2023年)やスロウタイの『UGLY』(2023年)にも見られた。これはかつての「ヴィンス・ステイプルスは/ダニー・ブラウンはジョイ・ディヴィジョンだ」「ポスト・マローンは/ダベイビーはロックスターだ」といったレトリックとしての隠喩ではなく、実際の意味での話だ(時代が進みポスト・マローンは本当にロック・シンガーになりかけていたが)。

そんな文脈で「Flood」と「Young」は、“ジャンルAの作家がジャンルBの意匠を借用する”というありふれた類型に収まらず、むしろジャンルA、B両方の魅力を損なわずにこれ以上ないほどオリジナルな形で作品にしている。2010年代、《Rate Your Music》以降の(自分を含む)音楽ファンの傾向として、音楽を固有名詞や個々の“ジャンル素”だけで評価するリスニングと語りが広がっていると感じる。しかし『Lotus』の楽曲群は、あえてジャンル素に分解できないサウンドの融和に取り組んでいる。

先行配信曲ばかりに話が及んでしまったが、本作は他の楽曲でも「非耳馴染み派宣言」とでも呼べる、激しく耳を惹くトラックが並ぶ。アルバム冒頭の「Thief」は、スリリングなギターとストリングスが絡むスパイ映画風の曲が大仰で楽しい。そして、アルバム後半の8曲目「Lion」から11曲目「Lotus」までの展開は圧巻だ。オボンジェイヤーが再び参加した「Lion」と、Yukimi(リトル・ドラゴン)が参加した「Enough」は、ギターやベースによる饒舌なメロディとパーカッシヴなドラムスが絡み合う(「Enough」にはブラック・ミディのモーガン・シンプソンがドラムスで参加)。この新作は、リトル・シムズのキャリア史上最もダンサブルなアルバムとして記憶されるのではないか。

『Lotus』の全曲の作曲、プロデュース、録音を手がけたのはマイルス・クリントン・ジェイムズ。ほとんどのドラムス、ベース、ギターの演奏も彼が行っている。彼はジャズファンク・バンド、Kokorokoのアルバムのプロデュースや、リトル・シムズの『Sometimes I Might Be Introvert』(2021年)にも演奏で参加しているが、情報は多くない。

これまでリトル・シムズの新作をサウンド面から綴ってきたが、彼女はこれまでも“耳に馴染まない”先鋭的なサウンドでキャリアを築いてきたアーティストだった。思えば「Boss」(2018年)の時点で、歪んだベースと反復的なビートでポストパンク的なサウンドを描いていた。オボンジェイヤーと初めて組んだ「Point and Kill」(2021年)は、『Lotus』のいくつかの曲とアフロ&パーカッシヴなムードを共有している(余談だが、同年にCommonがジャズファンクやアフロビートを取り入れた『A Beautiful Revolution (Pt 2)』をリリースしており同時性を感じさせる)。また、EP『Drop 7』(2024年)ではバイレファンキを取り入れるなど、彼女は常に先鋭的なサウンドを試みつつ、流行とも共振するアンテナの正確さを保ってきた。長らくタッグを組んでいたインフローによるソーの作品を振り返っても、『Nine』(2021年)はすべての音が鼓膜に近く、“耳馴染み”とは無縁の過剰な音楽だった。また、『7』(2019年)にはダンスパンクの要素、『Today & Tomorrow』(2022年)にはサイケデリック・ロック〜ハードロックの要素が指摘できたことも書き留めておく。インフローの影響は、パンク/ロック的なサウンドや耳に近い音像という形で、リトル・シムズやマイルス・クリントン・ジェイムズへと受け継がれている。

《Rate Your Music》的なジャンル素の因数分解や《Genius》の歌詞考察では捉えきれない、彼女の音楽の最大の魅力にも触れたい。それは彼女の少しネチネチとした粘度の高い声質だ。「Young」ではブリティッシュ・コメディのような語りの中で、声が裏返ったり過剰に抑揚をつけたりすることで、しゃべりとフロウを行き来する。「Enough」では押韻部を「お〜ぅ」「い〜ぃ」とねちっこく伸ばしたり、息継ぎを強調したりする。これらもまた、耳を惹きつけはするが滑らかには馴染まない彼女の魅力だ。それでは最後に、リトル・シムズのねちっこいフロウにも似た原稿タイトルを唱え、このテキストを締めくくろう。ひみみなじみはせんげん。(髙橋翔哉)

Photo by Thibaut Grevet

Text By Shoya TakahashiDaiki Takaku


Little Simz

『Lotus』

LABEL : AWAL / Beatink
RELEASE DATE : 2025.06.06
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