「大阪の片隅で、ぼんやり世界を眺めてるって感じですね」
ニュー・アルバム『sexy』発売記念
豊田道倫 ロング・インタヴュー
藤枝静男の後期の代表作「悲しいだけ」に、「『わたしはこの墓の下に入るのはいやです』といつかここに立って妻が云った」との一節がある。「ここ」とは藤枝の故郷の一族の墓所で、まだ生きていたころの妻が墓参のさいにもらした一言に、藤枝は彼自身の彼ら一族への嫌悪が馴れたような甘さに転じるのを察した妻の忌避感を読みとるのだが、結核で長患いした妻はすでにこの世にはいない。そのすぐ後に以下の一文がつづく。
──しかし私は、やはり私が死んだら私の骨壺に妻の残した骨の小片を入れ、帯同してこの父母の待つ墓の下に入り、そして皆で仲良く暮らすつもりである。(藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土』講談社文芸文庫)
これを愛ととらえるか死してなおまつわりつく関係の暴力とみなすか。
豊田道倫の『sexy』が収める「墓」を聴いて藤枝のこの小説を思い出した。ただし豊田の「墓」に登場する参政党支持者で子どもをふたり生んだ専業主婦はせっかく結婚できたのに選択的夫婦別姓なんてイヤだし旦那と同じ墓に入りたいという。他方、その女性の友人でもある作中の話者はいつか父が入り、母が入る墓に「あの子」は入ってくれるのか夢想する。おそらく男性であろう作中の話者の生と性と愛と死をめぐる間歇的な思考のうちに時間は飛躍し、いつしか泉下の人となった彼は人があふれる冥土の煩わしさと、お盆になっても墓参りひとつない墓前のさびしさの理由を「あの子」と墓に入れなかったことに求めようとするのだが、そこに豊田のバリトンボイスによる「墓 墓 墓 墓 墓 墓 墓 はかない」のリフレインがあたかも警句のように響きわたる。
豊田道倫には何度も脱帽してきたが『sexy』もまた例外ではなかった。これまで述べてきたのは歌詞のことだが、弾き語りとバンドサウンドを自在に行き来する音作りのあり方はむろんのこと、アレンジの意外性と抽出の多さ、レコード、CD、配信といった媒体ごとの差異への目配せ等々──幾多の作品を、ときに手ずから世に問う者の覚悟といおうか、そのようなものまで『sexy』には満ち満ちている、そのように記して、本年、2025年が『ROCK’N’ROLL 1500』リリースから30年を数える記念年であることにあらためて思いいたった。豊田道倫は昨年『大阪へおいでよ』『ピアスとギター』『戦争と痴態』と放射的な傾向のアルバムを3枚も出した。なにの今年なにもないのはさびしいと思った矢先、『sexy』がすべりこんだ。
パラダイス・ガラージ、豊田道倫名義の諸作を16組が参加したトリビュート盤『移動遊園地』も年明けほどなくのリリースとなる(編集部注:既に一部参加アーティストのライヴ会場などでは販売中)。曽我部恵一、三沢洋紀、直枝政広、川本真琴、七尾旅人、澤部渡ら、すべての楽曲に深い共感と、こういってよければ畏敬の念のようなものをおぼえるのは、ひとえに豊田の30年の長きにわたり歩んだできた道のりによる。
今週末には東京で、来週末には大阪でもワンマンライヴの予定がある。両地で別々の個性的な陣容のバンドをしたがえるのも、音楽家としての懐の広さもさることながら、人柄の賜物だというべきであろう。
フランク・ザッパが没した12月4日に収録した豊田道倫の最新のインタヴューを、真珠湾攻撃の日でありジョン・レノンの命日である12月8日にお届けする。
(インタヴュー・文/松村正人 撮影/豊田和志)
Interview with Michinori Toyota
──ニュー・アルバム『sexy』のリリースに対して、Xでは「長い旅だった」ということを書かれていました。話してもらえる範囲で構いませんので少し教えてもらえますか。
豊田道倫(以下、T):いやいや、もうね、本当は4月ぐらいから録音を始めて。サッと作るはずだったんですけど、僕、その4月の中旬に階段で転んで鎖骨を骨折して。それがなんか意外に長引いたっていうか。歌ってても力出なくて。で、夏は夏で、もう万博にハマっちゃって。で、一旦作業を中断したんですね。
──私もバンド(湯浅湾)をやってますけど、ウチのバンマスの湯浅学さんも何年か前に転んで鎖骨骨折したんです。鎖骨って折れやすいんですよね、意外と。
T:僕、骨折自体初めてだから、すぐ治るはずが、ちょっとした部分でもなんかしっくりこなくて。このニュー・アルバムの3曲目の「ホームランバッター」はその後に録音してるんだけど、ちょっと違うんですよね。
──どう違うんですか。
T:一生懸命歌ってるんだけど、なんか力入ってほしい部分にほんのわずかに入ってない。でも、鎖骨を骨折しても何回かレコーディングやってました。それももう10曲ぐらいある。でも、なんかイマイチでボツにしました。
──調子が上がらなかった。
T:うん。 一旦中断してって感じですね。
──なるほど。本当は4月に録音を始めて、秋口ぐらいにはリリースしたいと考えていたということですか。
T:初めはそのつもりだったんですけど、結構夏はグズグズしてて。でも曲はちょこちょこ作っていたので、で、どうしようかなと思って。そしたら収拾つかなくなっちゃって。曲数いっぱい入れるの好きじゃないから。
──いっぱい作るじゃないですか、いつも。
T:でも、パッケージとしては、ほら、今だいたいアルバムって時間短いですよね。50分超えっていうのもあんまりなくて。どうしよう、どうしよう、どうしようって言ってるうちに時間過ぎていって。で、最後……10月にセッションして、曲は削って削ってって感じですよ。
──収録を見送った楽曲もあったんですね。
T:めっちゃいい曲いっぱいあります。いい曲だけ。でもいい曲すぎて。
──今回も通常運転の傑作だったと私は思いました。去年は3枚出したじゃないですか。あれだけ出して、また今年も作っていくっていうのは、豊田さんは創作意欲が尽きることはないんですか。
T:いや、意欲ないんやけどね。酒もタバコもせえへんし、セックスの回数も減ってるし、たいして遊んでないなあと。
──最近は遊興に時間を割かないと。
T:はい。もうジムしか行ってないですね。
──ジムに行かれるのは体調管理のためですか。
T:そうだね、やっぱり。うん、それが大きいですね。体がどんどん劣化していくんで。
──歌は体が資本だということでしょうか。
T:僕、喘息があるんです。それが大きいですね。今、打ってる注射があるんですね、喘息の新薬。それを2ヶ月に一回打ってて、それは普通正規料金だと30数万円するんですよ。保険使っても10数万円。今は大阪市のひとり親家庭のための助成があって、それで500円で打ててるんですけど、でもそれが来年の3月で終わっちゃうんで、そしたらもう10数万も払えないし、その注射がなかったら結構僕危ないんで。
──発作が出るんですか? それを打たないと。
T:多分出る。相当悪化するんで。だから、今のうちにちょっと体を作っていこうというか。あんまり薬ばっかりに頼ってもいかんなと。
──体づくりをして、レコーディングも4月あたりから順次やっていったということですよね。最初に録音したのは──。
T:初めは「万博へ行こうかな」。万博の開幕日のちょっと前に作って。世間からは“何やってんの?”って感じで。ちょうど万博の前って言ったら、反対しかなかったから。なんちゅう歌を作ってんの? ってほとんど無視されて。
──曲を作った時点では万博には行かれていないんですよね。
T:行ってない。開幕日に行きました。開幕日に配信リリースしたくて、慌てて作ったなあ。
──なぜ作ろうと思ったんですか?
T:ふと曲ができて。あ、ええやんと思って。こんな歌作るやつ他にはいないと思って。誰に頼まれることなくキャンペーン・ソングを作ってしまったんですよ。
──弾きながら曲を作っていたら「万博へ行こう」という言葉が口をついたってことですね。
T:そう。もう急遽ワーッて録音して、うん。
──万博に対して、豊田さんは良いも悪いも含めて何かご意見はあったんですか?
T:僕、1970年……前の万博の年に大阪に生まれてて。で、90年代からしばらくは東京にいたけど、その頃の大阪は割と荒廃してた。そこからやっとここまで来たっていうか……だから、まあ、行ってみたかったわけですね、今回の万博。だから、まあ、そんな深い意味ないです。
──特に政治的な意味を込めたということではないと。
T:何もないですね。
──結果的に政治的な文脈で捉える人もいるでしょうね、きっと。
T:そうだね、うん、そうそう、いるけど、あんま関係ない。
──そのような評価のされ方、言われ方をするであろうことを織り込んであの曲は作ったんですよね。
T:もちろん。僕はそこら辺をね、うまくね、わりとぼやかして歌ってるっていうか、あんまり意志とか歌ってないんでね。あくまで街のスケッチとしてしか歌ってないんですよ。よく聴いてもらったらわかるんだけど。
──そうですね。
T:なんか独特な言い回しなんでね。「ちょっと」行こうかな、と歌ってるんで。
──私は豊田さんの歌をずっと聴いてきたので、豊田さんのこの表現の流儀みたいなのを踏まえると、今おっしゃったことはすごくよくわかるんですけど、そうじゃない人たちは表面的な捉え方をするわけじゃないですか。
T:うん。物事を見る解像度が低い人はそう言ってくるんだけど、ちゃんと細かいとこ見てくれる人は違うんじゃないかな。
──「万博へ行こうかな」の歌詞を見ると、その列に並んでいる人たちの、相貌や背景までじっと眼差しを注いでるのがわかります。私は万博には行きませんでしたが、このような参加の仕方は確かに面白いと思いました。
T:今、海外には簡単に行けないでしょ。そういう意味でみんな集結してた感じはあったね。僕もね、もうそんな遠くに行ける感じがしないんですよ。体も弱いしね。近場は行けても、アフリカとか、たぶん一生行かないだろうし。そう思ったら行っておこうみたいなね。で、行くと、やっぱりそこの(現地の)人たちがいるので、同じ空気を一瞬でも味わえる。東アジア、西アジア、欧米、アフリカっていろんな国の人がいるから。そういう意味でもめっちゃ面白かったですね。
──都合、何回行かれたんですか?
T:7回行きました。
──それはすごい。訪れる際ははあらかじめ目的のパビリオンを決めて行かれるんですか。
T:いや、特に決めなかったですね。一応決めていても、行ってみたらやっぱりパビリオンが並んでいたら、違うとこ入ったり。その日、その場の気分で動いてました。
──どこのパビリオンが面白かったですか。
T:パビリオンはまあピンキリでしたね。ハンガリーやUAEとか面白かったし。複数の小さな国が共同で出展するコモンズっていうパビリオンがあって、それが一番良かったかな。名前も覚えてないほどいろんな国があって。そこが好きだったね。そういうところに行くと、何て言うんですかね、想像力をかき立てられるっていう感じだった。いろんな国あるし、みんな結構幸せそうだなっていうか。日本が一番いいとずっと思ってたけど、待てよと。もういい加減、いろんな国に行った方がいいんじゃないかみたいな。ずっと日本にいるっていうのはもう前提だったけど、どっか違う国の方が俺は好きかもしれないと思ってね。なんか体が違うわって思ったりしてね。体つきがいい国が多いんですよ。女性が。
──ほうほう。
T:日本の女性は、背筋が曲がってる人が多いっていうか。ちょっとうつむき加減の人多いじゃないですか、めっちゃ美人でも。向こうの人はなんかもう肉つきが良くて姿勢も良くて、わが人生を生きてるって感じで……これは好きやなあと思ったんですよね。
──身体性ですね。
T:そう、身体性。こんな女性のいる国でロックしたいなあって。
──豊田さんなら、想像力を働かせて、そういう女性を歌のなかで描いたり、別の国に身を置くような状況も表現できると思うんです。特定の場所性を強く打ち出すようでいて、匿名的な側面もあると思うんです。
T:そんな大阪、大阪って言っても仕方ないっていうか。僕もほんま海外行ってないので。うん、行ってみたくなりましたね。
──最近海外に行かれたのはいつですか。
T:最後に行ったのはもう10数年前です。韓国に行ったぐらい。あと、子供のとき、父親が大学教員だったので向こうの学校に一年間、交換留学でイギリスに。その頃に家族でフランスとかスペインに行ったけど、それぐらいですよ。
──その時の記憶はありますか。
T:あるんですよ。それ結構実は大きくて。それがあったせいで、あんまり海外とか欧米へのコンプレックスがなかったかもしれないです。75年頃……ちょうどパンクが生まれる直前のロンドンで、コインランドリーで出会った金髪で強面のお兄さんが、すごく優しく喋ってくれた記憶があったりして。でも、急にポンって周囲は英語をしゃべる中に入ってさ。小学生とかその頃ね。でもあれは大きい体験だった。黒人もいれば中国人、イラン人もいるし。それをどこかで普通と思った自分がいたんですよ。でも、日本に帰ると、画一的で急に軍隊方式みたいになってる感じがして、子供ながらに逆カルチャーショックを受けた。イギリスの学校の、いろんな人がいっぱいいる方が普通っていう感覚だったので。でも自分は少数派だったけど、みんなと遊んだりしていましたよ。
──言葉も理解しないままに?
T:いや、すぐに覚えましたよ。まあ、子供じみた言葉だけど。でも、もうほんと最近は全然海外行ってないですね。
──今、中国とはゴタゴタしてますけれども、豊田さんは韓国とか中国とかでウケそうですけどね。
T:あんまり人気ないんちゃうかな。呼ばれたら行きたいけど、でも、ちょっと怖くて中国はなかなかいけないです。ぼくはきっと好き勝手言っちゃうから。ライブじゃなくて、観光では行きたい。
──話を戻すと、『sexy』では「ゆめしま行き」「1970年、わたしは5歳だった」「万博へ行こうかな」と大阪万博が通奏低音のようにいろいろな現れ方をします。2025年の豊田さんにとって、それだけ大きなトピックだったということですか。
T:うん、まあ、あの時期はね、楽しかったんちゃうかな。ただ、なんかね、大阪の街を見てると1970年の最初の万博の時に日本中から集まって、大阪にもいろんなニュータウンができていて、うちの実家の方もその頃に一番人が集まってきたんですね。でも、今はもうその辺がちょっとゴーストタウンになってきたんですよ。住民が高齢者になって。そういう意味で、時代の一つの、節目にもなってるんでしょうね。 万博っていうか、今年(2025年)が。
──1970年から時代がちょうどひと巡りし、図らずも豊田さんは2020年に東京から大阪に帰られている。去年は『大阪へおいでよ』というアルバムを出している。さきほどは場所性に拘らないというようなことをいいましたが、「相合橋」「西成」など舞台装置としての記名性は『sexy』でもはりめぐらしていますね。
T:うん、自分ではたいして意識してないけど、そうなっちゃったね。ずっといるから。
──滲み出てくるものがあるでしょうか。
T:あるでしょうね。 自分ではそこはちゃんと認識してないんですけど。ただやっぱりなんか別の仕事で東京からこっちに来て、3、4年経ってる人に聞いたら、やっぱり東京と違って、大阪には暮らしがあるって言う。まずその暮らしがあって、その中に仕事があるって言われて、そう言われたらそうかもしれないなあと。東京で“暮らし”って言葉を使うのもなんかよほどね、余裕がある人じゃないとって思っちゃう。でも、大阪にはとりあえず、みんなまず暮らしがあるっていうか。“暮らし、暮らす”って言葉、英訳しにくいよね。その味わいみたいなのが確かにあるかもしれない。独特な出汁文化っていうかね、それが大阪にはあって。英訳できないニュアンスの町かもしれないです。
──確かにそうですね。東京で“暮らし”っていうと“クオリティオブライフ”みたいですものね。
T:そうね。でもまあ、(大阪は)文化は薄いですわ。厳しいです。音楽関係なく、全体的な話で。
──豊田さん、よく映画とかもご覧になりますよね。そういう施設が少ないというようなことですか。
T:それもあるしね。この間、仕事で写真家の佐内(正史)さんと会ったんだけど、大阪には写真展があまりないよねって話してて。東京ではしょっちゅうやってるし、写真美術館もあるけど、大阪だと写真展なんかめったにないし、写真展に人が行く雰囲気もないし……って話をしてて。こんな大きい町だけど、何もねえなあって言って。でも、ふっと見たら、街のごはん屋や飲み屋の中が、もう、その風景が油絵っぽい感じなんですよ、おっちゃん、おばちゃんがいて、それぞれに間合いがあって、色っぽい。で、なるほど、そうか、街が文化そのものというか芸術になっているから、あえて写真展とかに行かないのかもしれないって思って。街自体が、豊かなものが溢れてるから、他人の表現物に興味がないかもしれないですね。
──そのような風景に触発されて歌ができることはありますか。
T:そうですね。おっちゃんとおばちゃんは、なんか色気があるんですよ、こっちは。なんか生々しい。50代で孫ができてやっと青春が始まるみたいな雰囲気あって。やっと俺もまた彼女を作ろう、みたいな。50歳過ぎてギラギラし始める。このおっさん、おばはんに打ち込んでるわ、みたいなね。そっからまた第二の青春みたいなのが始まる感じもする。まあ、大阪市内の感じとしては。
──作詞法に影響するかもしれないですね。
T:意識してないけどね。基本的に僕はそういう街のスケッチをしたいから。今度出る僕のトリビュート盤とか聴いてもね、30年ぐらいの間、いっぱい曲を作ってきて、その時その時のスケッチはしてきたなという雰囲気はありますね。
──トリビュート盤の『移動遊園地』、豊田さんがプロデュースされたんですか。「Edo River」が代表曲のカーネーションの直枝政広さんが豊田さんの「River」がとりあげるとか、友部正人さんが「大阪へおいでよ」を歌うとか。
T:違う違う。何も言ってないです、僕は。それは本当皆無です。トリビュート盤を作りたいですって言われて、その許諾をしただけですね。
──でもみなさん、パラガ、豊田道倫の作品から自分には何がふさわしいか、ちゃんと汲み取られていると思いました。
T:「参加してほしくない人はいますか?」とか聞かれたけど(笑)、僕は何もしてない。ただ、トリビュート盤と同時に出るはずだったオリジン盤(トリビュート盤でとりあげられている曲の豊田、パラダイス・ガラージによるオリジナルを曲順そのままに収めたもの)と比較して聴いてほしいってだけですね。
撮影/豊田和志
──いずれにしても2025年はご自分の来し方を振り返る1年でもありました。
T:意識してないけど、そうなっちゃったね。デビュー30年とか、言われるまで本当に気にしてなかった。そんな暇ないしね。息子の受験とかもあって。
──大変ですよね。私も経験がありますから。
T:いや、俺ね、全然大変じゃなくて。
──ほったらかしですか。
T:ほったらかしなんですよ。普通の公立高校だからね。先生も「頑張れよ」としか言わない感じ。
──『sexy』はそういう状況下で作っていたと。
T:パッケージ売れないけどね。
──CDもヴィンテージなパッケージとしてやや持ち直してる感がある気もしますけどね。
T:あんま感じないな。レコードも買う人はもう少ないんじゃないかな。いま、レコードなんて買う人、嫌な人しかいないですよ(笑)。
──嫌な人(笑)。
T:普通のポップな人は買わないんじゃないかな、あれ。
──LP1枚、5000円超えの世界ですからね。
T:うん。めっちゃ欲しいものやったら買うけど、嘘くさい再発ばっかりでさ。
──とはいえCDにしても、ことアルバムともなると、どのようにすれば、耳を傾けてもらえるものになるか、思案のしどころですよね。
T:そうそう、そこは考えましたね。もうちょっと曲数を削りたかったけど、結局1時間ちょっとかな。
──『sexy』には事前の想定や構想はありましたか。
T:初めはアコギ1本で、エンジニアの西川文章さんと(組んで)やってたんです。ギブソンのJ-50ってやつを使って、新しいアコギ弾き語りの可能性を探って。それ自体はよかったんだけど、やっぱりアコギ1本だけで作るのはちょっと厳しいと思って。で、《LMスタジオ》に移って、エンジニアの須田一平さんとバンド・サウンドも録音しました。でもバンド・サウンドと弾き語りを気持ちよくその混在させたアルバムってのは結構難しくて。それこそ初期のボブ・ディランみたいに、前半がバンド、後半が弾き語り、みたいに固めるのはちょっと違うと思ってて。うまく混在しながらも、気持ちいい流れを作ることに、今回は注力しましたね。
──その流れは、見事に落とし込まれていると思いました。
T:ほんとですか? そこだけは苦心しました。
──バンドの録音としてはどうだったんですか。スタジオに呼んで一緒に録っていますか。
T:基本的にバンドはもう、一発ですね。ドラマー(岡山健二)が東京なんで、一回一回来てもらって。
──クレジットを拝見すると岡山さんが参加されている曲が多くて、彼は東京でしょうから、ファイル交換で作業したのかと思っていました。
T:自分がリスナーとして聴いていて気持ちいいレコードにするには、やっぱり岡山くんしかいなくて……彼の存在は大きいですね。彼、ソロでも活動していて。そっちでは自分で歌っている。スチールギターの元山ツトムさん、関東のわがつまさん、yagihiromiさんのコーラスはファイルのやり取りで作業しました。
──豊田さんは、レギュラー・バンドを少しずつ新陳代謝するスタイルでやってこられましたが、現在の布陣も充実していると思います。
T:そうだね。難しい問題だけど、たまたまいいミュージシャンたちに恵まれて。
──バンド・サウンドと弾き語りのバランスもすばらしいですが、「墓」ではドラムにフランジャーをかけたりボーカルを飛ばしたり……あれらのサウンドは豊田さんの指示ですよね。
T:そうそう。あれはフェイザーだったかな。いや、忘れた。
──ダブ・ミックスじゃないですか。
T:まあそうかな。
──弾き語りにそのような実験精神が共存するのが豊田節だというか、私が豊田さんの音楽を好きなポイントのひとつなんだと思います。
T:自分の音楽リスナーとしての欲望があるんでね。今までは、シンガーソングライター、あるいはパフォーマーとしての自分がまずあって、音楽リスナーの部分が薄い時期があったかもしれない。でも、大阪にいると、やっぱりちょっと時間と余裕があるので、より音楽を聴く時間が増えて、もう一回音楽リスナーの気持ちに今きてるっていうのはあるかもしれない。
──音楽に触れる機会と時間が増えてきた?
T:うん。なんかそうなっちゃったね。
──アレンジの面でも、1曲目の「ゆめしま行き」で全体がフェードアウトしていく中でトランペットが消え残る感じとか、今回のアルバムでは小技が全体的に効いていますね。
T:小技だけはめっちゃ上手いと思います(笑)。レコーディングが終わって、マスタリングして通して聴いた時はもう感動しましたね。自分のミュージシャンの采配に関して。そこだけはね、成功したなと。
──プロデュース・モードに入っているのではないでしょうか。それもあってトリビュート盤にも豊田さんが関わっていると思ったのかもしれません。
T:トリビュート盤では何もしてないけど、そういう感覚あります。逆にミュージシャンを誰を使うかとか、そっちに集中しちゃった部分もあって、全部終わってから、「あれ、この曲、ヴォーカルに、もう何もしてないな」とかって気づいた。何もやってへんやん、まあ、いいか、みたいな。リバーブも使ってない、間奏ない、でも、まあ、間奏無くても聴けるな、ライヴでは、とかね。まあ、セルフ・プロデュースも限界ですね(笑)。やっぱりね、ほんとは欲しいです。プロデューサーが。ブルース・スプリングスティーンの作品(におけるジョン・ランドゥ)みたいなね。
──そういえば、スプリングスティーンがお好きだと石橋英子さんと話していらっしゃる動画で拝見しました。スプリングスティーンのように威風堂々とした歌いっぷりでいきたいということですか。
T:いや、スプリングスティーンって実際はめちゃくちゃナーバスな人で。今、映画(『孤独のハイウェイ』)公開してるじゃないですか。『Nebraska』から次の『Born In The USA』に行くまでのいろんな葛藤を描いた映画。あれを観たら、もう自分だったら崩壊しただろうなって思う。シンガー・ソングライターにはやっぱプロデューサーがいないとダメだなって。
──思いきって年下の方にプロデュースしてもらうとか。
T:憧れはあるね。あと、石原洋さん、ゆらゆら帝国とかを手がけていた人。あの人には一度やってほしいって思ってる。でも、あの人フォーク大っ嫌いなんですよ。一度《U.F.O. CLUB》で僕と三上寛さんがライヴした時に話したことがあってね、「俺はアコギ一本で歌うっていうのが大っ嫌いだけど、君のはまあまあ聴けたよ」とか言われて。
──豊田さんの場合、フォークへの問題提起としてのフォークでもあると思うんです。石原さんもそうおっしゃりたかったのではないでしょうか。
T:それ以来、ずっと憧れがあります。一度プロデュースしてほしいって。
──フォークの定義は簡単ではないですが、今作は歌詞の面では歌い手の内省を思わせる歌は少ないですね。
T:難しいですね。今回のアルバムの一番最後を「千春に捧ぐ」にしたのが、結構最後の選択肢でしたね。ラストナンバーは実は違う曲も録音してて決めかかっていたんです。でも、全部街のスケッチばっかりだったから、最後、ちゃんと自分の気持ちを……自分と一回ちゃんと向かい合おうと思って。それで「千春に捧ぐ」にした。あれは自分のことだから。この間、この《TURN》で直枝さんとスカートの澤部くんの対談をしてくれて(編集部注:近日公開予定)。その原稿を先に読ませてもらったんだけど、そこで、直枝さんが、僕が息子のことを歌ってるって言っててね。たぶん、「ホームランバッター」のことなんだろうけど、あの曲には確かに息子、息子って言葉がいっぱい出てくるから、ひょっとしたらそれが「自分の息子」とミスリードされる可能性はあって。でも、実はあれは自分の家族の曲では全くないんですね。とある母と息子の話を描いた物語なんで。ただ、そういう勘違いをよくされる。ちょっと怖いんだけど、しょうがない。
──それはシンガー・ソングライターの宿命なのではないでしょうか。
T:そうそう。だからそれはまあしょうがないんだけど、自分としては違うんだよねっていうところは実はある。
──私が豊田さんの音楽で感動するのは、街のスケッチで登場する人物を歌の中に置いた時に、ものすごくリアリティが出てくるところなんです。彼らは豊田さんの歌の中で生きてるというか。私は豊田さんがご自分のことを歌っているとはあまり思いませんが、虚構がものすごく生き生きとしてる。やや語義矛盾なんですが。そこが、ご自分のことを歌ってると誤解を招くポイントなのかもしれないですね。
T:そうだよね。
──例えば「墓」に「参政党を支持してる」という歌詞があると、豊田道倫は参政党を支持していると思う人もいるかもしれないということですね。豊田さんは、その煽りを受けやすい歌い手かもしれないなとも思います。
T:しょうがないですよね。ただ、やっぱりみんなビクビクしてて、表現があまり突っ込めない感じになってる気がしますね。何でもできるし、何でも発信できるんだけど、でも何もできないというか……恐ろしい状況かもしれないですね。
──そういう状況に風穴を開けたいと思いますか。
T:別に思わない。別に自分は自分だし、もう55歳だから。大阪の片隅で、ぼんやり世界を眺めてるって感じですね。
──でも、豊田さんがこういうアルバムを作り続けていることが、この状況を逆に照射してる側面はあろうかと思いますが。
T:うん。かな。なかなかね、あんまりシンパシー持てる人がいないですね。
──創作の水準の問題もありますからね。フィクションとリアリティのせめぎ合いが、私は創作の面白さだと思うんですけど、豊田さんのようにやっている人はほとんど思いつかない。
T:どっちつかずですね。やっぱり。
──その点では、デビューから30年で孤高の境地にいたったということかもしれないですね。
T:今回一番思ったのは、最終的にヴォーカルがすべてっていうか。歌詞とかサウンドメイクよりも、やっぱりもう肉声がすべてっていう感じがあったなあ。実際、ヴォーカルのダビングにめっちゃ時間かかってて。今日は体調最高、声も出てる、だけど、声がマイクに全然吸われてないってこともあって。逆に風邪気味だからあかんけど、なぜかマイクに声が吸われる時もあったり。そのあたり、なんかまだまだ何もわかってない感じがしましたね、自分が。
──気持ちと実際の歌の感覚が合わないこともあるんですね。
T:それはもうしょっちゅう。めっちゃ体調悪いけど、しかもピッチもリズムも悪いけど、これでいいとかね。結局、確信を持てるってことが一番大事で、その確信を耳で判断するってことなのかな。そこらへん、結構こだわってました。ヴォーカルの録り直しもいっぱいある。録って、やっぱちゃうわと思って、で、もう一回スタジオ行って。数万円吹っ飛んで、また行ってまたちゃうわみたいな。
──自分基準になると、つい甘くなってしまいそうですが、厳しくやったと。
T:うん、そう。例えば強いて言えばあがた森魚さん、あの人、レコーディングでヴォーカルをすごい厳しくしっかりやってるって話を聞いて、やっぱり毎回歌は良くて。参考になるっていうか、なるほどなって。僕の今回のアルバムだと、例えば「バロック」の最後の音程とかめっちゃ下がってるんだけど、エンジニアの方に指摘されても、「これでいいです」って通したり。
──逆に、これはちょっとという場合、頭から歌い直すんですか。
T:歌い直す。でもまあ、いろんなパターンあるけどね。編集はあまりしたくなかった。
──一番大変だったのはどの曲ですか。
T:1曲目かな。やっぱり出だしの歌、声がどう聴こえるか。しかも一瞬楽器の音が全部ブレイクしちゃうから。
──1曲目を「ゆめしま行き」にするのは最初から決めていたんですか。
T:いや、結構最後ですね。でも、1曲目にしようと決めてから、歌には神経使いました。ナーバスなんですよ、ヴォーカルに関しては。逆に言えば、音響とか演奏は、メンバーが素晴らしいから、割と楽観的にかまえてた。問題は歌。年齢とともに落ちてくるものも確かにある。まず、自分がリスニングするのに耐え得るかっていう。やっぱり聴いてくれた人に、信じてほしいわけですよ。この人と自分はバックボーンも違うし、歳も違うし、考え方も違うけど、何か信じられるなって。そのカギになるのが声なんでしょうね。信じてほしいっていうのもおかしいんですけど……うん、それはあるかもしれないですね。僕、15歳の時にブルース・スプリングスティーンを聴いて、ワイルドな歌だけど、でもあの声に僕はグッときちゃったんですよね。この人を信じようみたいに思った。それってバックボーンとか歌詞とかよりも、やっぱり声なんですね。そこでもう自分の人生は決まったものだから。
──たしかに声はもっとも説得的な触媒かもしれません。
T:マイクも……シュアのゴッパ(SM58)を何曲かで使ってる。前からゴッパは結構いいよって話をちょこちょこ聞いてて。そしたら、ほんまええわっていう感じ。そういう気づきって結構あって。さっきも話したようにアコギもギブソンのJ-50使ってて。今までアコギってちょっと小さいのが好きだったんですね、僕は。でも、大きなボディを使って、ちょっと悠々と弾いてみたら曲も変わってきて。前は結構割とせわしなく、小刻みにリズムを刻む曲が多かったんですけど、ちょっと悠々とした曲ができました。それによって、歌い方も変わってきたかもしれない。
──年輪を重ねてきた優雅さもあるんじゃないですか。
T:まあ、俺、しょぼいからなあ。松村さんみたいにちゃんとした大人じゃないから。
──そんなことないですよ! 豊田さんなんて、年下からも慕われてるじゃないですか。
T:慕われてる実感ないな。ただ、アホだからね、俺。一緒に遊んではくれてるだけのような。
──トリビュート盤を聴いて、後世、後進に与えた影響の大きさを実感しました。
T:まあ、このトリビュート盤と新作をちょっと前面に出さないと、年末の東京と大阪のライヴはもう客が来ないから、今はこうしてちょっと頑張ってますね。たぶん来年は何にもしないんで(笑)。何もしないから、CD買ってライヴに来てほしいですね。
──そんなことおっしゃらず、来年もまた何枚も出してください。
T:いや、ほんと、ライヴには来て欲しいですね。東京と大阪ではメンバーもちょっと違うんで。大阪のメンバーでは最近入ってくれたodd eyesってバンドの岡村(基紀)くんとかいいですよ。やっぱり一人はつまんないですね。バンドはもちろん大変だけど、好きやね。バンド・サウンドでしか表現できないものって結構ある気がしてて。ボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」のあの1発目の音とイントロとか、あれ、今よく聴いたら、割と大雑把なアンサンブルなんだけど、なんかちゃんと答えがあるっていう。自分の鬱々とした生活がちょっと変わる瞬間ってあるじゃないですか。明日を照らす音によって。そういうものがやっぱりあるなと思いますね。生き方、考え方、バラバラな人間が集まって、音を鳴らすということから来る何か面白くて強くて、優しいもの。そういうものを表現できたらいいなと思っています。
<了>
Text By Masato Matsumura
Photo By Kazushi Toyota
豊田道倫
『sexy』
LABEL : 25時
RELEASE DATE : 2025.12.10(配信)、12.24(CD)
購入はこちら
豊田道倫 公式(配信) /
TOWER RECORDS / hmv / Amazon
豊田道倫/パラダイス・ガラージ デビュー30周年記念公演 “How does it feel?”
◾️2025年12月12日(金) 渋谷 WWW
出演:豊田道倫& His Band!(岡山健二、中川昌利、宇波拓、冷牟田敬)
開場18:30 開演 19:00
前売り ¥4500 当日¥5000 under23 ¥3000(共に+1D)
チケットはこちらから
https://eplus.jp/sf/detail/4056050001-P0030002?P6=001&P1=0402&P59=1
◾️2025年12月19日(金) 大阪 CONPASS
出演:豊田道倫&New Session!(岡山健二、みのようへい、岡村基紀、江崎將史)
開場18:30 開演19:00
前売り ¥4000 当日¥4500(共に1D)
チケットはこちらから
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