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ハイパーポップ考現学
─ジャンルと言語を越えたその広がり─

01 November 2021 | By Shoya Takahashi

1. オンラインを中心とするLGBTQIA+コミュニティとハイパーポップ

今年9月にCNNが公開した記事に、LGBTQIA+ファッションとTikTokに関する興味深い論考があった。それは「クィアなジェンダーをもつTikTokerが、ファッションに関するアドバイスやスタイル表現を提示することで、クィアの視聴者に自分のスタイルを見出させるとともに、それ以外のZ世代にもクィアの声を可視化している」という趣旨の内容だった。男女の二項対立を前提としてデザインされたスタイルからの解放と、こうしたソーシャルメディア経由での価値観の広がり。これらの文脈から連想されるのは、最近のハイパーポップを中心とした音楽シーンである。

まずTikTokの話題に関連して、今年に入ってTikTok経由のメガヒットを果たした曲をここに2つ挙げよう。1つはカナダ出身・17歳のミュージシャン、ElyOttoの「SugarCrash!」、もう1つはチャーリーXCXの「Unlock it (Lock It) – feat. Kim Petras and Jay Park」だ。いずれもエクストリームなサウンドが印象的なハイパーポップだが、かたや全くの無名から突然のヒット、かたやリリースから3年半越しのヒットと、従来のヒットの法則から外れた経緯で注目された曲たちだ。今までであればさほど注目されなかった音楽が歴史や文脈を飛び越えて注目される土壌が、我々が1年以上パンデミック下で暮らしている間に醸成されていた。

ハイパーポップは、インターネットと非常に相性がいい音楽である。このサウンド特有の、乱数表で選んでつぎ合わせたような曲展開は、文脈から自由な数十秒の映像が無限に連なったTikTokのタイムライン上で流れることで、視覚と聴覚がシンクロする。コンテンツ過多、そして冗長な時間を惜しみ、TikTokもSpotifyもマッチングアプリも次々にスワイプする2020年代の若い世代にとっては、新しく即物的な刺激が絶えずやってくるハイパーポップは、非常に“いま”の感覚にマッチしているはずだ。

また、rateyourmusic.comで2019年リリースのユーザ評価数が(タイラー・ザ・クリエイター、カニエ・ウエストに次いで)3番目に多いアルバムが100 Gecs『1000 gecs』であることからも推察できるとおり、ハイパーポップを積極的に聴き、評価しているのは、《Rolling Stone》や《NME》、(「スコアを見直したいアルバム」の企画でチャーリーXCXの『Vroom Vroom EP』を挙げている)《Pitchfork》のようなクリティックより、むしろネット上のリスナーたちである。

シーンが活性化したもう一つの要因として、LGBTQIA+コミュニティとしての側面が考えられる。パンデミック以降、対面でコミュニティに参加できなくなっただけでなく、クィアの人びとを標的としたデマの流布、アンダーグラウンドなクラブ・カルチャーを担うイベントの中止、それらによる社会的・肉体的・精神的な寄る辺のなさ。ハイパーポップではソフィーや100 GecsのLaura Resをはじめ、クィアな音楽家が多く活躍している。サウンド面では、2000年代のエレクトロニックの1ジャンル、ナイトコアのようにピッチを上げたアンドロジナスなヴォーカルを用いることが多い。またルック面では、2017年以前のソフィーのように顔出しをせずに活動している例のほかにも、mental、blxty、I’m Geistらのように、アニメアイコンのようなイラストがそのままアーティスト写真になっている例も少なくない。つまり、声色やルックからジェンダーイメージが規定されない。こうした特徴から、ハイパーポップがクィアな音楽家にとっての新たなコミュニティとなるのも自然な流れかもしれない。

2. 急激に加速するハイパーポップ(そして形骸化?)

ハイパーポップというムーヴメントが、15年前のニューレイヴや10年前のEDMが経験したように、実験的なトライアルと急加速する消費との両輪で成熟するにつれ、リアルタイムの音楽家には、この枠組みの中で「どこまでクリエイティヴでいられるか」という課題がのしかかる。ハイパーポップは、他のメインストリームのサウンドのような存在になるだろうか。それとも、2010年代前半からの〈PC Music〉的なDIY精神やコミュニティ音楽としての理念を受け継いだものになるだろうか。

ここ1年ほどの間に、ハイパーポップ的なサウンドを自身の音楽に取り入れようとする音楽家が急増しているように思う。レディー・ガガの前作『Chromatica』(2020年)をA.G.クックやドリアン・エレクトラがリミックスした『Dawn Of Chromatica』(2021年)や、100 Gecsのリンキン・パークやフォール・アウト・ボーイとのコラボレートは、いずれもオーバーグラウンドな音楽のリスナーに射程が届く可能性を感じさせる。そしてアンダーグラウンドなシーンでも、underscoresのポップ・パンクから、glaiveのエモ・ラップまで、ハイパーポップをダンスミュージックの枠組みの外側へ越境させようと試みている例は少なくない。しかしながらこれらの新たな流れに、ソフィーがプロデュースしたヴィンス・ステイプルズ「Yeah Right」(2017年)や、チャーリーXCXのミックステープ『Number 1 Angel』(2017年)に感じた刺激や興奮を感じるかというと、ちょっと言葉を濁すかもしれない。

また、ハイパーポップというタームを特に頻繁に目にするようになってきた2020年の後半ごろは、私はそれまでバブルガム・ベースと呼ばれていたソフィー、チャーリーXCX、A.G.クック、100 Gecsのような、いわゆる〈PC Music〉的なサウンドのみを指すものだと思っていた。しかし現在ではキム・ペトラス、アルカ、Shygirlといった、〈PC Music〉周辺の面々とコラボレートしているものの、従来は別物と捉えられていた音楽家が一緒くたにハイパーポップとして括られることも少なくない。そもそも、ハイパーポップという名前自体がSpotifyのプレイリスト「hyperpop」に由来していることからも予想できるように、各メディアでもハイパーポップに対して「特定の形式やサウンドにこだわらない、ゆるやかな音楽の集まり」といったニュアンスで、“定義はない”という定義が打ち出されている。しかしその反面、この新しく生まれたムーヴメントを盛り上げるために、「あれもこれも」類型として当てはめてしまっていることは否定できないのではないか。

チャーリーXCXの最新アルバム『how I’m feeling now』(2020年)から1年4ヶ月ぶりの新曲「Good Ones」。ソフィーの急逝を経た2021年9月にリリースされたこの曲をはじめて聴いたとき、これはチャーリーによるハイパーポップとの別離の宣言かもしれないと思った。もちろんこれまでも彼女は、ケイティ・ペリーやコールドプレイといったメインストリーム・アクトも手がけるスターゲイトにプロデュースを任せるなど、必ずしもハイパーポップ的なサウンドだけを提示していたわけではない。そして昨年7月の「what is hyperpop?」のツイートに象徴されるように、彼女は自身の音楽がハイパーポップという特定のタグに紐づけられることを歓迎していないのも事実だ。だからこそ、かつてブラーやクラクソンズ、スクリレックスがそうしたように、かつてブームの火付け役の1つでありながら、いち早く見切りをつけて別のモードに移行した音楽家の系譜に、彼女も名前を連ねることになる気がする。この甘い匂いのするパステルカラーの魔法がいつ解けるかは、誰にもわからない。

3. 日本におけるハイパーポップ受容

最後に、日本ローカルの話題も挙げたい。2010年代に台頭した、オンラインを主戦場にするレーベル、というところまで〈PC Music〉と共通している、日本の《Maltine Records》。ハイパーポップをテーマにしたコンピレーション『???』が昨年10月にリリースされているが、ここにも参加しているウ山あまねとhirihiri、そこに4s4kiを加えたアクトのここ1年ほどのリリースに耳をとおせば、日本におけるハイパーポップの受容と現在地がつかめるかもしれない。ウ山あまねのサンプルの多さと展開の予測不能さはもっともエクストリームで、逆に4s4kiはサウンドやヴォーカルの派手さがある一方でポップソング的な展開に則った歌モノとしても聴ける。また、hirihiriはゲストヴォーカルを頻繁に招いておりヒップホップのトラックメイカー的な色合いが強い。このように、日本においてもハイパーポップからすでにいくつものヴァリエーションやグラデーションが生まれている。

先ほど挙げた《Maltine Records》以外にも、日本の音楽シーンの1つとして、2010年代後半以降に長谷川白紙や諭吉佳作/menらに代表されるソングライターが、ソーシャルメディアを中心に話題を広げていく潮流があった。長谷川白紙のブレイクコア的な暴力性と急速な展開や、諭吉佳作/menのポスト・ストリーミング的ともいえる雑食な音楽性は、ハイパーポップとも共鳴する。実際に諭吉佳作/menは「外B」でヴォーカルをピッチシフトさせているし、またkabanaguも最新作『泳ぐ真似』のなかでコーラスやオートチューンなどのヴォーカルエフェクトを多用しているほか、「冥界」ではナイトコア的なサウンドを披露、7曲11分という極端な短さもまたハイパーポップ的だ。このようにハイパーポップは日本でも、やはりオンラインのコミュニティを中心に、確実にシーンの中に浸透している。

欧米ではSpotifyの「hyperpop」のプレイリストに見るとおり、名もなき才能が無数に発見されては互いに繋がり合い緻密なネットワークを形成しているのに対して、日本ではまだ一部の音楽家によるムーヴメントという印象もあり、ハイパーポップ自体が新たなコミュニティを形成するには至っていない気がする。これには、日本は欧米に比べるとまだクィアな音楽家の活躍の場が限られているという理由も考えられるが、その一方で、長谷川白紙がソフィーからの影響を公言し、諭吉佳作/menは自身がノンバイナリーであることを示唆しているように、オンラインで台頭してきた音楽家たちのほうが、LGBTQIA+コミュニティに対する意識はより強いようだ。このように日本でも、インターネットを中心とするコミュニティは、ハイパーポップとともに新たな意識への変容を、大衆に伝播させていくポテンシャルがある。そしてサウンドだけでなくアイデンティティの表現という面においても、音楽シーンにさらなる地殻変動をもたらすことを期待してやまない。(髙橋翔哉)

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【REVIEW】
Charli XCX『how i’m feeling now』
http://turntokyo.com/reviews/how-im-feeling-now/

Text By Shoya Takahashi

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