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Arcade Fire 『Everything Now』
ポップ・ミュージックのカルマを背負った自分たちをも嘲笑する、 消費社会とインターネット時代を痛烈に批判した5作目

03 August 2017 | By Shino Okamura

 もう既に多くのリスナーが知っていることだろうが、もし、まだの方がいれば、まずはぜひこちらのページにアクセスしてみてほしいと思う。

アーケイド・ファイア自らが制作した架空の音楽サイト《Stereoyum》のページ
http://www.stereoyum.com/072217/arcade-fire-premature-evaluation-everything-now/review/#

 これは、アーケイド・ファイア自らが今回のリリースのために制作した架空の音楽サイト《Stereoyum》。そう、米の音楽サイト《Stereogum》のパロディで、ご丁寧にバナー広告などもちゃんと並べつつ、どこよりも早く5作目にあたるこの新作のレビューを掲載しているのである。昨今何かと物議を醸しているフェイク・ニュースへのアイロニーと言ってもいいだろうし、実際にその内容も、自虐的な揶揄を多分に含んだブラック・ジョークに溢れるもの。加えて、本作のパッケージの中に封入された歌詞カードもまるでスーパーのチラシか製品カタログのようなキッチュなデザインで、まるで消費社会に向けた痛烈な批判と受け止めることもできる。

 そう、これを彼ら特有のユーモアと現代社会批判と解釈しないと、このアルバムの重要な主題は伝わらないし、彼らがポップ・ミュージックのとしての醍醐味は味わえなくなってしまうだろう。一部では落胆される向きのある新作だが、少なくとも私はグラミー賞を獲得し、最も大きな影響力を持つロック・バンドである彼らから、今、こうしたアルバムが届くことに意味があると感じてしまう。彼らは消費されていくカルマを背負った大衆音楽のど真ん中で活動していることを事実として受け止め、その上でどこまでそんな自分たちを嗤えるのか、どこまでそんな自分たちがいつのまにか巻き込まれている消費社会を揶揄できるのか、そしてどこまでその中でサヴァイヴしていけるのか…に徹底的に向き合っている。それも、とことんライトでアップリフティングされたダンス・ポップに落とし込みながら。その人工的なまでにエレクトリックなアレンジ、意識的に安っぽく加工したサウンド・プロダクションからは、アリエル・ピンクの新曲「Time To Live」ではダイレクトにフレーズが引用されていたが、これまたバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」さながらの暴走する文明への警鐘をもここに感じてしまうのである。

 00年代のフレンチ・エレクトロはもとより、コーラスありきのディスコ・ポップ・グループのアバやシザー・シスターズなどを思い出したりもする作風は、4年前の前作『リフレクター』の流れをある程度踏襲したものだということがわかるが、LCDサウンドシステムのジェームス・マーフィーがプロデュースで関わっていた前作と異なり、今作にはダフト・パンクのトーマ・バンガルテル、ポーティスヘッドのジェフ・バーロウらが協力。レコーディングはニュー・オリンズで録音されたものが圧倒的に多いそうだが、よりカラフルにポップな質感がデフォルメされた曲が並び、曲によってはメインストリームで大ヒットしたデヴィッド・ボウイの『レッツ・ダンス』(1983年)のようなエレクトロ・ファンクを思い出したりもする。彼らが本質的に持つブラック・ミュージック指向と80年代的なエレクトロ・ポップの接合点を目指した時……その制作のスタートがいみじくも昨年頭のデヴィッド・ボウイの死のタイミングだったのだとしたら……!

 タイトル曲では“すべては今なければ!”と繰り返される。なんでも簡単に手に入るがゆえに、モノがすぐさま手元に届かないと不安にさいなまれる奇妙な現代人の感覚を皮肉たっぷりに綴る。これを読んでくれているあなたは、さて、このアーケイド・ファイアの新作をどのようにして手に入れただろうか? 店頭で? アマゾンで? それともApple Music、Spotifyで? 一瞬で音楽が手に入ることの意味を、そうした時代に自分たちも生きて、その恩恵を受けていることの意味を繰り返し聴きながら考えてみることが本作を楽しむ大義なのかもしれない。(岡村詩野)

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■ソニー・ミュージックHP内アーティスト情報
http://www.sonymusic.co.jp/artist/arcadefire/

■Arcade Fire Everything Now Special Site
https://www.everythingnow.com/

Text By Shino Okamura

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