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2018年はここにフォーカスせよ!
今年注目のアーティスト、シーン、エリアを紹介 Vol.3

14 February 2018 | By Shino Okamura / Yasuyuki Ono

《TURN》筆者による今年2018年の注目を紹介する企画、最後となる第三弾は尾野泰幸と岡村詩野の“フォーカス”。ロックが聴こえる場所としてのUSとUKの今年のカギを握るのは誰か? そこで、多様性あるサウス・ロンドンの躍動、アメリカの歴史を俯瞰して捉える目線の重要性について掘り下げてみた。

第一弾、山本大地による【ストームジーやJハスに続くか⁈ 進化と多様性の拡大を象徴するUKラップ】、坂内優太による【「ポスト・トラップ」のシーンに帰還するカニエ・ウェスト】はこちら→http://turntokyo.com/features/features-2018

第二弾、上野功平による【分業制ポップに反旗を翻す、「エモ」のDIY精神】、高久大輝による【沖縄のラッパーたちが映し出す、ローカルシーンの”その先”】はこちら→http://turntokyo.com/features/features-2018


シェイム、ついに圧巻のデビュー! そして、サウス・ロンドンの蠢き

ザ・リバティーンズからフランツ・フェルディナンド、アークティック・モンキーズ、そしてクラクソンズと続いていったイギリスの「インディー・ロック」が、2010年代以降、困難な時代を過ごしてきたことは周知の事実だ。 その時代を経て2018年、イギリスにて「インディー・ロック」の新たな蠢きが始まっている。その流れの先陣を切ったバンドこそが本稿の主役、労働者居住区からアート・スペース、ギャラリーが立ち並ぶ芸術地区へと変貌を遂げ、ジェントリフィケーションが進行してきたサウス・ロンドンはブリクストンの小さなヴニューから現れた20歳、21歳の若者たちの5人組バンド、シェイムである。

シェイムは自身の結成の地、サウス・ロンドンにあるベニュー《クイーンズ・ヘッド》をホームとして活動していたファット・ホワイト・ファミリーらとの関係性を築き、同地を中心にインディペンデントな活動を続けてきた。そのバンドが一気に知名度を得、評価を高めることになった契機は、本年1月に発売されたファースト・アルバム『ソングス・オブ・プレイズ』である。《NME》は本作に5つ星満点をつけ、《Guardian》は彼らを「イギリスで最もエキサイティングなバンド」と評した。メロディアスでノイジーなギター・サウンドと、ブレグジット以降の社会に対する批評性ある歌詞。その双方をはっきりと有する「ロック・バンド」としての存在感。それが、彼らにここまでの注目が集める理由だろう。

 
 

サウンドの主体となるのは、フロントマン、チャーリー・スティーンが最も重大な影響を受けたというザ・フォール(リーダーのマーク・E・スミスが1月に亡くなったことは周知の事実)の系譜上に位置するポスト・パンク・サウンド。「One Rizla」の浮遊感漂う抒情的なリフは、シェイムの新作と同スタジオにてかつて録音が行われたエコー&ザ・バニーメンの「キリング・ムーン」を想起させもする。さらにそこに合流するのは、「Lampoon」でのダークな音色とつんのめるダンサブル・ビートから感じるフランツ・フェルディナンドからの影響。つまり、ザ・フォールやエコー&ザ・バニーメンからフランツ・フェルディナンドに至る系譜上のサウンドと、メイ首相風刺やレイシストへの批判に見られる内閉する社会への提言が強く込められたリリック(「Tasteless」などに象徴的)によってシェイムの音楽は構築されているのである。

そのシェイムが出自を持つサウス・ロンドンに目を向ければ、意外に多様性あるシーンになっていることに気づく。シェイムと親交の深いHMLTD、ファット・ホワイト・ファミリーのようなサイケ、エクスペリメンタル色の強いバンドたちに加え、ポスト・ハインズとしてラフ・トレードに見いだされたゴート・ガール、デッド・プリティーズ(残念ながらバンドは停止し、メンバーはネクスト・プロジェクトを準備中)といったガレージ、パンク勢たちもアクセスしている。この地で形成するバンド群のサウンドの非一貫性もこのシーンが良い意味での雑種性や懐の深さを有したものとなっていることを示唆しているようだ。

 
 
 

現在のサウス・ロンドンのこの雑種性、多様性、層の厚みは、2000年代の「インディー・ロック」を牽引したニューヨークはブルックリンの胎動と躍進に似てはいないだろうか? 2000年代半ばにかけて、ブルックリンには実に多くのハイブリッドなバンドが登場していった。けれど、彼らは一つ一つ全く異なる視座、趣向で活動していたのである。ザ・ナショナルは社会性と文学性が併存するリリックが、グリズリー・ベアは広大な音楽的ボキャブラリーに基づいたサウンド・テクスチャ-と内省的表現が魅力だったし、ダーティー・プロジェクターズやヴァンパイア・ウィークエンドはアフリカ音楽やアフロ・ポップの導入といった越境的アプローチが持ち味。その一方でザ・ドラムスやヴィヴィアン・ガールズのようなローファイ、ガレージ・ロック・バンドも躍動する。そして、ヒット・チャート上位を獲得していくバンドもあらわれていった。そんなかつてのブルックリンに、今のサウス・ロンドンのホットな雑種性を重ねてしまいたくなるのは筆者だけではないだろう。

サウス・ロンドンにおけるローカル・シーンは確かにシェイムの登場によってさらなる表舞台に上りつつある。2010年代という「インディー・ロック/ロック・バンド」受難の時代、シェイム周辺の混沌としたサウス・ロンドン勢がどのような拡大を見せていくのか。この久しぶりに感じる胸の高鳴りが、その問いへの答えとなっていることを祈りつつ、彼らの行く末を見届けたい。(尾野泰幸)


タイタス・アンドロニカスに見る、多民族、移民国家としてのアメリカという怪物

この曲を聴いて、イビツで巨大な移民国家としての“アメリカ”という怪物の底力のほどを改めて思い知らされた。それはまるで永久凍土のごとく長い時間をかけて積み重ねられてきた分厚い地層を見ているようだと言っていい。タイタス・アンドロニカスの新曲「Above The Bodega(Local Business)」。これを聴いて、かつてボブ・ディランが、ジョニー・キャッシュが、ニール・ヤングが、ブルース・スプリングスティーンが、R.E.M.が、ウィルコが、ベックが、ホワイト・ストライプスが、あるいはアラバマ・シェイクスやフリート・フォクシーズが、しっかり足を地につけて長く深い歴史と対峙してきた事実に想いを馳せる。LA、ブルックリン、アトランタ、シカゴ、ポートランドなどアメリカには常に発信地となりうる町やエリアが多数あるが、もっと大きな目線で捉えた“移民文化によるアメリカ”という化け物が、今、このバンドを強く後押ししているような気がしてならない。

尤も、このバンドは2000年代半ばの登場時から、ポスト・パンクだのオルタナだのとして紹介されてきたが、一方で、最初からアメリカという移民国家における立ち位置を明確にするような思想をリリックやタイトルで表現してきた。地元ニュージャージーへの愛憎入り乱れた思いや、民族や思想による分断への複雑な心境を、シェイクスピアの同名舞台からつけたバンド名のもと、ユダヤ教ナザレ派へのシンパシーなども垣間見せながらダイナミックに描く。そうした高い志は、しかしながら、時に過剰になることもあり、ロック・オペラを作ったこともあったし、歴史ある音楽としてのフォークを手段としてのパンクで成立させようとしたこともあった。米Mergeに移籍して2015年に発表した前作『Most Lamentable Tragedy』に至っては、勢い余って約30曲2枚組というヴォリューム。多民族、多思想国家としてのアメリカに歴史あるロックという一定のフォルムから挑むバンドであってきたと言える。

この曲は、そんなタイタス・アンドロニカスのリーダーでメイン・ソングライターのパトリック・スティックルズが、地元ニュージャージーからニューヨークに移り住んだ体験から作られている。パトリックが引っ越したアパートの1階は24時間開いているデリ店。Bodegaというのはスペイン系米国人の言葉で食料雑貨店を意味するが、そこで働く店員との交流からパトリックは孤独を感じながらも“故郷”“地元”“移民”…あるいは“疎外”の目線を強く意識したのだという。サブ・タイトルにあるLocal Businessというのはタイタス・アンドロニカスの2012年のアルバム・タイトルと同じだが、そこからは地域レペゼンに基づくアイデンティティの希求を今なお彼らが視野に入れていることがわかる。この曲のPVにパトリックの実の母親が出演していることからも、スペイン系デリ店店員との親しい交流を通じ、間接的に心の故郷=母親を描こうとしていたようにも感じられはしまいか。

パトリックの母親がスタジオを訪ねてきた際の映像

来たるニュー・アルバムからの先行曲として公開されているこの「Above The Bodega(Local Business)」を聴いて、ローリング・ストーンズの69年の大ヒット曲「ホンキー・トンク・ウィメン」を思い出す人も少なくないだろう。ジミー・ミラーがプロデュースしていたあの時代のストーンズは米南部サウンド指向が強く出ていて、実際に71年の『スティッキー・フィンガーズ』は米アラバマのマッスル・ショールズで録音されている。アメリカに憧れてロンドンからやってきたストーンズの面々は、エタ・ジェイムスやウィルソン・ピケットが吹き込んだここで、白人英国人としてのアイデンティティ――それはもしかすると贖罪の意識や疎外感を少しは孕んでいたかもしれない――とどのように向き合ったのだろうか……筆者は、今、そんなことにまで思いを馳せてしまう。ミックやキースは自分たちの祖先が征服した上に成り立つ移民国家としてのアメリカという国に何を感じたのか…と。

タイタス・アンドロニカスのニュー・アルバム『A Productive Cough』は3月2日にリリースされる(日本盤は3月7日発売)。今、LAは確かに面白い。アトランタやシカゴからも目が離せないし、ブルックリンも変わらず追いかけたくなるほど躍動的だ。だが、今一度ポジションをグッと後ろにさげ、遠く離れた位置から北米大陸の半分を占めるあの“怪物”を捉えてみてはどうだろう。巨大国家アメリカの持つ歴史をロックという枠組みで捉える作業が必要な時期にある、と先ごろ来日したフリート・フォクシーズのロビン・ペックノールドは語ってくれたが、そのロビンの意見に同意する上で、筆者はそこにもう一つ加えてみたい。個人という目線、一人一人異なる人間としての目線だ。なお、その来たるアルバム『A Productive Cough』にはボブ・ディランの「Like A Rolling Stone」のカヴァーが収録されているが、タイトルには「(I’m)~」と付け加えられている。「帰る家がない」のは、「我々」でも「君たち」でもなく、あくまで「僕」であるという目線に立ち返る意味。2018年はそんな視座を常に意識していたいと思う。

2018.3.7 ON SALE
Titus Andronicus(タイタス・アンドロニカス)
『A PRODUCTIVE COUGH』

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Text By Shino OkamuraYasuyuki Ono

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