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「ずっと思っているよ、音楽のない音楽を作りたいって」
デヴェンドラ・バンハートとノア・ジョージソンによる
“彷徨っているが迷ったわけじゃない”音の隠れ家

24 August 2021 | By Takuro Okada

シンガーソングライターであるデヴェンドラ・バンハートとプロデューサーとして知られるノア・ジョージソン。かねてから親交のあった2人であるが、初めての共同作業はデヴェンドラの2005年のアルバム『Cripple Crow』にノアが共同プロデューサーとして参加した事に始まる。それ以降、2人は多くの作品を仕上げている。

互いを知るようになると、瞑想の世界、東洋音楽、バガヴァッド・ギーター、ホール・アース・カタログ等、1980年代のニュー・エイジのサブカルチャーにおいて共通の歴史を持つことに気づいた。そして二人がこのアンビエントのレコード『Refuge』を作ることを決めたのは、2019年にデヴェンドラのアルバム『Ma』を制作している時だった。

少し個人的な話をさせてもらうと、私は飛行機恐怖症だ。これは墜落の恐怖ではなく、狭いスペースにシートベルトで固定され一定時間の身動きを制限されるという状況に置かれると、どうしてか得体の知れない恐怖に襲われ動悸が止まらなくなる。以前読んだ私と同様の飛行機恐怖症の音楽家のインタビューで彼は搭乗時はいつもブライアン・イーノ『Music For Airports』をヘッドフォンで聴きながら心を落ち着けると言っていた。私もその話を聴いてからブライアン・イーノ『Music For Airports』を。そして『Lux』、ラファエル・トラル『Sound Mind Sound Body』、吉村弘『Music For Nine Post Cards』、ヤソス『Inter-Dimentional Music』を詰め込んだプレイリストに意識を集中させて、自身の意識とは別の音の響きに身を委ねているといつしか瞼が落ちるようになった。アンビエントとニューエイジ。出自も目的も異なるこの2つの音楽であるが、両者に共通する時間をゆったり引き伸ばしたような音響や響きの海は、人がどうしても持ってしまう様々な邪悪な自意識から解放され、時に敬虔な気持ちを呼び起こさせるように感じる。これは消極的エスケーピズムではなく、人の持つ余りにも繊細な心が欲する能動的な行為と思いたい。

インタビューが行われたこの日は残念なことに私は私用で同席することが叶わなかった。しかし2人は音楽が人にもたらすある種の効用について言及してくれた。矛盾や不正、嘘、暴力、怒りと憎しみ、あまりに疲弊した時代を生きる私たちとって、社会との距離感について今一度考えるタイミングではないだろうか。“もちろん今日の社会にとって議論が必要だ”というカギ括弧は本当に必要だろうか。音の響きの海に没入し注意深く耳をそばだてる行為から音楽ではない何かが聴こえてこないだろうか。
(インタビュー・文/岡田拓郎 協力/岡村詩野 通訳/原口美穂)

Interview with Devendra Banhart, Noah Georgeson

──2人がアンビエントのレコードを作ることを決めたのは、2019年にデヴェンドラのアルバム『Ma』を制作している時とのことですが、本作と『Ma』の間に通底するテーマはありますか。具体的にどのように『Ma』以降、今作の制作へと向かったのか詳しくおしえてください。

Devendra Banhart(以下、D):今回のアルバムのようなレコードを作りたいとはずっと前から思っていた。作りたいと思うようになったのは出会った日からだったかもしれないし、もしかしたら出会うより前だったかもしれない。でも一番のきっかけは京都だった。あの時、作りたいという段階から、今回のレコードを絶対に作ろうと思う段階に変わったんだ。あの場所のヴァイブと環境はものすごく美しくて。それで、この場所にいるような感覚になれるレコードを作ろう、と話を始めたんだよ。とはいえ、『Ma』は京都でレコーディングしたけど、今回のレコードとはあまり関係ない。インスピレーションが違うからね。

──デヴェンドラのこれまでの作品には、浮遊感のあるシンセ使いが印象的な『Ape In Pink Marble』や、環境音やテープのヒスノイズが鳴る『oh me oh my…』など、常にアンビエント的なテクスチャーを内包していたように思いますが、これまでもリリースしていないアンビエント的なインストゥルメンタル・ミュージックは日常的に作っていたのですか。これまで、あなたのコンポジションの中ではアンビエント的なテクスチャーとそうではない作品とはどのように分けていたのでしょうか?

D:いや、頭の中では考えていたけど、実際に作ったことはなかったね。今回が初めてなんだ。ただ、今回のレコードは僕たちが知り合う前からずっと作りたいと思っていたくらい、『Ma』の遥か前から頭のなかで思い描いていた作品ではあるよ。まあ、『Ma』との共通点は、僕たちが一緒に作ったってことだけかな(笑)。

Noah Georgeson(以下、N):そうだな(笑)。でも、もしかしたら無意識に共通している点が生まれているかもしれないね。聴いていてもしそれが見つかれば、それは僕にとってもいいサプライズになるだろうな。君は考えたことある?可能性はあるよな。だって同じ僕たちが作ったわけだし、作られた場所もかぶる部分はあるし。

D:アルバム同士を並べると見た目が良くはあるけど(笑)。それはつまりマッチしてるってことだよね(笑)。 

──今回のコラボ作はパンデミックの最中での制作とのことで、データのやり取りで制作を進めたそうですが、普段のようにスタジオで顔を合わせて制作するのでは得られないメリットはありましたか。曲作りの手順を含めて、今回の作業のやり方、プロセスなどを詳しく教えてください。

N:もしかすると不利にもなったのかもしれない。でも、僕たちはそれを逆手にとって利用したと思う。個々で作業をして、それを見せ合い驚かせ合うというプロセスだったんだけれど、僕はそれを楽しんだからね。お互いにそれぞれが作ったものから刺激と影響を受けながら作業を進められた。逆にそれが機能していい結果をもたらしたと思う。同じ部屋にいたことは一度もなかったにもかかわらず、すごく親密なレコードに仕上がったとも思うんだ。それはきっと、パンデミックでより強い繋がりを感じていたからだと思う。もちろん自分たちの作品を作っていたわけだけど、お互いのために音楽を作っていた感覚もあった。僕は自分が作ったものを一番最初に聴くのはデヴェンドラということがわかっていたし、デヴェンドラは彼が作ったものを一番最初に聴くのが僕だとわかっていたから。ある意味、僕はまず彼のために音源を作っていたんだ。”デヴェンドラは気に入ってくれるかな?”ということを考えながら作っていた。それはサウンドに影響しているんじゃないかな。

D:実は、僕たちはかなり近所に住んでるんだよ。だからしょっちゅう会ってる。ノアは僕のお気に入りで、彼と会ってビーチに行ったり、出かけるのは大好き(笑)。でも、近所に住んでいるのにロックダウンで全然彼に会えなくなってしまったんだ。曲作りは、僕が半分作り、ノアが半分作ったんだけど、ノアが言った通り、僕もノアを感心させたいと思いながら曲を作っていた。そうやってお互いが作ったものを混ぜ合わせてサウンドが作れたことを、僕はすごく嬉しく思っている。彼と僕が作ったものはそれぞれ違っているのに、お互いに褒めあっているんだよ。プロセスは、僕たちがまず曲を作って、ストリング奏者やピアノ奏者がそれを自分たちなりに解釈して、そこに彼らの音を乗せる、という作業を全てリモートでやった。このレコードでは、ノアの方が僕よりも多く演奏していると思う。僕は演奏に関しては実際のミュージシャンたちにもっと頼っていたから。

N:僕もそこまでは演奏してないよ。ハープやピアノなんかは、僕は思うように演奏できないから。でも他のミュージシャンを使うからといって、レコードから自分たちらしさが薄れていく感覚は全くなかったね。自分たちが携わっている感覚は強いままだった。

D:パンデミックが始まる前までは、僕は一人でいることが好きだったし、自分は一人で大丈夫だし他の人々の存在はあまり重要だと思っていなかった。でもロックダウンが始まると、他の人たちの存在が自分にとっていかに必要であるかに気付かされたね。

──パンデミック、行き過ぎた資本主義、偏った過激な思想を生み出すインターネット。いまを生きる疲れ果てた人々にとって、本作のような静謐なアンビエント・ミュージックは心を落ち着ける拠り所のようにも聴かれていると思います。いまアンビエント・ミュージックを作るということは、今日のような複雑で困難な時代と関係していますか?

D:そういった状況の加速への反作用ではあるだろうね。最近だと、特に健康に関して。コロナやワクチンといった未知の脅かしに皆とりつかれている。人間は自分たちに馴染みのあるものに囲まれていることに慣れているし、心地よさを感じる。身体的にも精神的にもそれが乱れた今の状況は、すごいストレスだと思うから。

N:瞑想の空間のようなものをこのアルバムが皆に与えられるといいんだけど。リスナーが入り込める世界であれば、瞑想でなくてもいい。アルバムのタイトルの通り、世界と人類の狂気からの”refuge”=避難所になるような作品であってほしい。そして、そこから何かを得て現実に戻り、その得たもの活用してコミュニティの力になる何かが出来るようになっていたら尚良いね。

 

──あなたがたはこの音楽を形容するにあたって“アンビエント”という言葉が使っていますよね。そして“瞑想”、“東洋思想”といった“ニューエイジ”という言葉を連想させる言葉も頻繁に使われています。

D:ブライアン・イーノの“アンビエント・ミュージック”も、ヤソスの“ニューエイジ・ミュージック”も発端は異なるけど、どちらにも共通するビートレスで浮遊感のある静かなサウンドは、宗教的である/ないに関わらず、どこか敬虔な気持ちを呼び起こすように感じるんだ。逆に聞きたいよね。この“アンビエント”と“ニューエイジ”という言葉から、音楽にどんなことを連想する? 音楽におけるこの二つの言葉を使い分けるような場面はこの制作の中であったかな?

N:その二つは結構違うと思う。ニューエイジはもっとヒッピーで、思想もかかわってくるし、カリフォルニアと繋がりが強い。でもアンビエントは、もっと音楽に特定している。ニューエイジのように、文化の荷物がくっついてこないから。でも、ニューエイジは、僕とデヴェンドラが親を通して聴いて育った音楽でもある。僕らはニューエイジを素直に音楽の一つとしてサウンドで楽しんできたから、もちろん音楽的に影響は受けているよ。でも、このアルバムを表現するのに適した言葉が何なのかは正直わからない。その2つのジャンルに関しては、もちろんその要素はあると思うけど、意識していたわけじゃないんだ。決めていたのは、歌を入れないインスト音楽にすることだけ。だから、アンビエントやニューエイジの部分に関しては、偶然その要素が強く感じられるものに仕上がったんだと思う。

D:僕の考えも同じ。アンビエントもそうだし、アンビエントやニューエイジのカテゴリーは全く意識していなかった。頭の中に特定のムードやシーンはあったかもしれないけれどね。数年前、僕は手術をしたんだけど、その手術中、腕の中にあるものを取り出す手術だったんだけど、全身麻酔ではなかった。そしたら執刀医が、音楽をかけたほうがいいかもしれないな、と言ったんだ。それを聞いた時は一瞬変な感じがしたけど、僕がミックスを作りましょうか? とオファーした(笑)。で、自分がお気に入りのミュージシャンを選んでそのミックスに入れたんだ。ハロルド・バッドとか、坂本龍一とか、ロジャー・イーノとか、ポール・ホーンとか。そして後から聞いたら、その手術以来、そのドクターが全ての手術でそのミックスを流してるっていうんだよ。彼の患者、そして彼自身を癒し、落ち着かせるらしい。そういう雰囲気は、意識していたものの一つだったと思う。

──お二人は長年ポップ・ミュージックを始め、歌のある音楽の制作に携わってきましたが、“歌のある音楽は作りたくないなあ”なんて時期はこれまでありましたか。あったとしたら、それはどういう理由によるものですか?

D:ずっと思ってるよ(笑)。音楽のない音楽を作りたいって(笑)。音の立ち上がりのない、何かを溶かすような音楽を作るのが理想。そういった音楽を作るのってかなり難しいけどね(笑)。歌というのも言葉のプラットフォームにはなるからいいんだけれども、僕にとっては今回のようなレコードも大切なんだ。もし曲のメインが言葉になってしまうと、僕はサウンドよりもタイトルにフォーカスを置いている。一方ノアは、僕と違い、大学で僕もお気に入りの講師たちから教育を受け、アカデミックな知識を持っている。だから、僕とは違う観点からアプローチがとれるんだ。

N:音楽と歌の組み合わせは、美しくもある。音だけでは表現しきれないものを詩を加えることでより表現できたり、詩だけでは十分でないものに音をつけてより深いものにしたり。でももちろん、百に単体の方が良い時もある、僕の場合は、音楽を学んでいた時は、歌のある音楽よりも歌のない音楽を作ることの方が多かった。だから、歌のある音楽よりも歌のない音楽を書くほうに慣れているし、そちらの方が自然に感じるんだ。

──アンビエント・ミュージックは聴く人の環境によって受け止め方も変化する音楽ですが、あなたがたはどんな環境で聴かれるのが最もマッチすると思いますか。

N:あらゆるセッティングで楽しんでもらいたい。必ずしも日常と離れたセッティングで聴いてほしいわけじゃないんだ。もしろん、スパで施術をしてもらう感覚で、何もせずに音楽を流した状態で楽しんでもらってもいい。でも、どこかうるさかい場所や騒々しい場所でアルバムを聴いて、その場所から気をそらすような聴き方も悪くないと思う。特に今、世界では恐ろしいことが沢山起きているけれど、それは世界中の皆が共通して感じていることだと思う。それもそうだし、自分が立ち向かっていること、不安を感じること、何だっていいから、アルバムのタイトルの通り、この作品の音楽を聴いて、立ち止まり、自分がそこから避難できる空間をみつけてほしいんだ。街を歩きながらでもいいし、暗闇の中に座りながらでもいい。リスナーが自分にとっての隠れ家、避難所をアルバムを聴くことで見つけてもらえたら、それが一番嬉しいね。

──となると、アルバム・タイトルの『Refuge』のRefugeという言葉が意味するものは、リスナー次第ということですか? それとも、何から何への避難、という特定イメージは頭の中にあったのでしょうか?コロナが関係している部分はありますか?

D:“気をそらす”という言葉をノアが使ったけど、気をそらす、気を散らすというのは悪いことではない。むしろ、時に必要だと僕は思うんだ。Netflixを見るのと同じさ(笑)。まあ、Netflixで気晴らしするっていうのはちょっと皮肉かな。普段のネット漬けからプラグを外して気分転換をしたい時にNetflixを見たら、それにはWi-Fiが必要になるから(笑)。気晴らしや気持ちをそらせることが必ずしも“避難”とも限らないけど、何から自分を保護したいかはその人次第。自分自身が必要としている避難は何かを考えて、それが“気晴らし”の人たちもいれば、それが文字通り“避難”の人もいるかと思うんだ。『Wandering…But Not Lost』ってドキュメンタリーがあるんだけど、“彷徨っているけれど道に迷ったわけじゃない”というのは、このレコードの世界観に近いと思う。あのタイトルを見た時は、素晴らしいタイトルだなと思ったし、これこそ僕たちが作ろうとしているものだなと感じたんだ。

N:コロナは、最終的には大きく関係することになったと思う。作っている間は考えていなかったけど、コロナは明らかに全ての人々の頭の中にあるものになったからね。自分や家族がコロナにかかっていなくても、世界の状況を見ているだけで圧倒される。無意識に生き残るということを頭でずっと考えているのはかなりのストレスだと思う。そこからの避難はやはり必要な人は多いと思うね。

──では、お2人にとってお気に入りの環境音が聞ける場所はどこでしょうか。具体的に家の近所の森とか川とか建物とか、そうした場所をおしえてください。また、そういうところで聴ける音を実際に採取したりフィールド・レコーディングとして利用するようなことも頻繁にありますか?

N:僕は自然の中で育ったから、僕にとっては自然から得るものはすごく大きい。例えば昨日も海に行ったんだけど、ずっと帰りたくなかったくらい。

D:ノアは、ロックダウンが始る前まで、色々な場所を旅してその音をレコードにしたらいいんじゃないかという考えを持っていたんだ。特に、環境破壊の兆候の音。氷山や氷河が溶ける音とか、水の中に入ってサンゴ礁が気候変動で激減しているグレートバリアリーフの水の音を録るとか。そういったサウンドを録り、それを使って心地よくて美しいサウンドを作ろうと話していたんだよ。そのサウンドを録るために世界を旅する話までしていた。それがこのレコードの最初のプランで、その時の“refuge”は、この惑星からの避難を意味していたんだ。レコードのセットアップは、今出来上がったものとは結構違っていたんだよね。でもおわかりのとおり、旅というものが全くできなくなってしまった(笑)だから、レコードのテーマと内容が変わってきたんだ。

N:前回のレコードでは海の音を何時間もレコーディングしたし、今回のレコードでは使わなかったけど、火の音もレコーディングしていた。フィールド・レコーディングの音がそれが本当は今回のレコードの基盤になるはずだったんだ。でも、そのアイディアは次のレコードまでお預けだな。それが出来るようになるのはいつになるんだろう。2030年とか?(笑)。

──2年前に《Light in the Attic》から出た『Kankyo Ongaku』という日本の昔の環境音楽のアーカイヴを集めたオムニバス・アルバムは、グラミーにもノミネートされるなど大いに話題になりました。あのオムニバスの発売がアメリカやヨーロッパなどのリスナーや音楽家たちにもたらした影響はどういうものだと感じますか?

D:確実に影響していると思う。みんなあのレコードを評価しているし、僕自身も大好きな作品。西洋のオーディエンスに日本の沢山の素晴らしいミュージシャンを紹介しているよね。僕は、Takuroさん(岡田拓郎)のアルバムからもあの作品と同じものを感じるんだ。建築学的空間というか、Hiroshi Yoshimura(吉村弘)やSatoshi Ashikawa(芦川聡)、Masahiro Sugaya(菅谷昌弘)、そしてあのコンピレーションに参加している多くのアーティストを思い起こさせるね。

──おっしゃるように、環境音楽、アンビエント、ニューエイジは全て少しずつ異なりますが、そこに通底している哲学、思想はどういうものだと感じていますか? そして、そこに影響する思想として、イーノのような西洋的アングルとは違う、日本の「侘び寂び」にも似た日常の佇まいや美意識はどのくらい介在していると思いますか?

 

N:さっきも話したように、自分の中ではオーバラップはしてもアンビエントとニューエイジは違うものだから、通底した哲学や思想はちょっとわからない。僕の中で、アンビエントは音楽、ニューエージはライフスタイル、またはライフスタイル・ミュージックだから。僕にとって、その違いは大きいんだ。日本のその美意識に関しては、あまり介在していないと思う。シンセというのは機械なわけで、侘び寂びは人間や自然の手によって作られるものだと思うから。このレコードは、シンセももちろん使われているけれど、生演奏の楽器も多く使われ、人間の手によって演奏されている。その部分には不完全が存在するわけで、僕らはそれを磨き過ぎず、受け入れて評価している。そこをむしろ活かしているのは、日本の美意識に近いかもしれない。そして、その部分こそリスナーが繋がりを感じられる部分だと思う。人間の手によって演奏されているサウンドの方が、自分がその環境の一部であるとより自然に感じられるんじゃないかな。

D:ただ、侘び寂びもそうだし、金継ぎの美意識や哲学なんかも本当に豊かで美しい。さっき話したけど、このアルバムを作ろうと決めて動き出したのは京都だった。それだけ僕もノアも同じくらい日本の素晴らしさにインスピレーションを受けているんだよ。

N:京都は僕にとって世界の中でもお気に入りの場所の一つだし、日本の文化やアートには刺激を受けている。一つ一つが全て心に響くんだ。また海外に旅が出来るようになったら、一番最初に行くのは日本だと思うくらい日本は素晴らしいと思う。

D:本当にそうだね。

N:でも面白いのは、日本に行くと逆に西洋の文化に影響されている部分が沢山目に留まること。多くの日本人がそれに影響され取り入れているのを見ると、アメリカの良さに気付かされるときもある。

D:金継ぎもそうだけど、壊れるもの、古くなるものを障害と思わずに更に美しいものになるきっかけととらえる考え方が素晴らしい。例えば、器が割ってこわれるのも、それで金継ぎが出来るんだから、それを考えると前向きになる。壊れたり古くなること、歳をとることを障害だと思うこと自体が本当の障害だということを学ばされるよ。

──ところで、今作の制作時に使用した機材をおしえてください。これまでの作品で使用した機材とは明らかに違う、今作で初めて取り入れた機材などもあればおしえてください。

N:僕が使ったのはローランドのシンセサイザーJX-3P。このシンセは何故か過小評価されている。みんなが好きなのはローランドのJUNOで、僕もそっちも大好きだし素晴らしいと思うけど、JX-3Pはそのブサイクな義理の弟みたいな扱いをされてるんだ(笑)。でも僕は大好きで、このレコードでは結構使ってる。むしろ、今回のレコードで僕が使っているシンセはこれだけだな。あとは全てアコースティックの楽器ばかり。

D:僕はJUNOを使った。あとはメロトロン。

N:ポリシックスは?

D:そうだ。ポリシックスも使った。

N:あれも良いシンセサイザーだよね。僕らの場合、自分の周りにあるものを使ってどうにかしようとするんだ。あるサウンドを作るためにあらかじめ機材を揃えたりはしないんだよ。今回はホームスタジオからでれなかったから、周りにあるのがそのシンセだったというわけ。制限がかかっていたのが逆に良かったと思う。より集中できるし、クリエイティブになれるからね。

──本作のアートワークは《Windham Hill》の作品のオマージュのようにも見えます。お2人にとっての好きなウィンダムヒルの作品をおしえてください。

D:面白い質問だな。僕らは二人とも《Windham Hill》の全てのレコードを聴いて育ってきた。子供時代の僕らにはすごく重要な存在だったし、お気に入りでもあった。僕が好きなのは、ジョージ・ウィンストンのレコードかな。

N:お気に入りというか、僕が懐かしさを感じるのは『A WInter’s Solstice(ウィンター・コレクション)』のシリーズ。確か4枚あるんじゃないかな。最初と2枚目は、子供の頃のクリスマスのサウンドトラックだったんだ。両親がテープを持っていて、ずっとかけていた。だから今それを聴くと、その時代が瞬時に思い出されるんだ。

D:でも、ウィンダムヒルを意識してアートワークを考えたわけじゃないんだ。

N:あの写真の感じとか、フォントとか、言っていることはすごくわかるけどね。

D:どちらかといえば、アートワークに関してインスピレーションをもらっているのはECMのレコードかな。

──最後にノアに聞きたいことがあります。あなたのプロフィールでずっと興味深いと思っていたのですが、学生時代にフレッド・フリスやアルヴィン・カランに師事していたそうですね。当時、彼らからどんなことを学んだのですか? また、本作を制作するにあたって、彼らのようなインプロヴァイザー/実験音楽家の思想と連関するところはありますか。

N:フレッドの授業は、彼が演奏した音楽に対して自分たちが反応し対応するというものだった。たまにそれについて論文を書いたりして。コンテンポラリー・ミュージックの調査、みたいな感じの授業。フレッド・フリスは良い意味ですごく厳しい先生だった。だからこそ、その科目に熱心に取り組むことができたと思うし、彼が大好きだった。アルヴィンに関しては、受けていたのは作曲の授業。一対一の授業で、覚えているのはほとんどが彼と交わした会話。音楽に限らず、彼は僕のメンターみたいな存在だったんだ。彼の音楽のいくつかもすごく概念的だから、彼の音楽がどのジャンルかと言い切るのは難しい。でも、音楽家として彼からはすごく影響を受けている。彼らの周りにいるだけで、かなり刺激を受けたと思う。それから、同じ時期に僕はポーリン・オリヴェロスからも指導を受けていたんだ。彼女からは、ミュージシャンとしても人間としてもインスパイアされたね。

──彼らから学んだ語法がポップミュージックを作るにあたって活かされることがあるとしたら、どんな場面でそう感じましたか。

N:ポーリンから学んだことが一番活かされていると思う。彼女の教えの中に“ディープ・リスニング”というのがあって、とにかく音楽、そしてサウンドに耳を傾けるんだ。聴覚に全神経を集中させ、ミニマルに何が音を立てているかを聴く。儀式的なアプローチで、続けると瞑想しているような感覚にもなるんだ。あのアプローチは、僕に大きな影響を与えてくれたよ。今回のレコードのサウンドのシンプルさは、そのアイディアがインスピレーションになっていると思う。

<了>

 

Text By Takuro Okada


Devendra Banhart & Noah Georgeson

Refuge

LABEL : Friends Of / Dead Oceans / BIG NOTHING
RELEASE DATE : 2021.08.18


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