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butajiは「それでも」と歌い、誰かが語り始める
──最新作『RIGHT TIME』を待って──

30 August 2021 | By Daiki Takaku

butajiの音楽に興味を抱いたきっかけはとても個人的なものだった。でもその詳細を話すには、私はまだ自分自身のことを整理できていないし、どうしたって筆が重くなってしまうので、だからできるだけ端的に要点だけ書いておこうと思う。

ちょうどセカンド・アルバム『告白』(2018年)のリリースに合わせたインタヴューを軽い気持ちで読んでいたときのことだ。画面をスクロールする手が止まる。butajiは言う。「結局ぼくはその方から拒まれたってことなんです」。どうやら、その人がbutajiを拒んだ理由は、その人の信じるものにあるようだ。そして、キリスト教にルーツ、戒律といった、いくつかの情報から察するに、その人が信じているものは、私の母が信じているもの、幼少の時分の私に母が説いたものとよく似ていたのだった。そのインタヴューには具体的な宗教の名前が出てくるわけではないから確かなことは言えないし、たとえ全く同じものだったとて、すでにその教えの元に私はいないのだが、それでも母に背を向けた私にとって、真っ向から対話を試みて、その上でひどく苦しそうにしているbutajiの姿は、どうしたって他人事には思えなかった。マイノリティなのもあってメディアに揶揄される以外の形で登場していることだけでも珍しかった、というのもあるけれど。

さて、『告白』を再生してみる。いわゆるシンガーソングライターのイメージを覆すような強烈なマシンビート、華やかなアレンジ、王道を迷いなく進むキャッチーなメロディ、高低自在に行き来しながら微細に揺れるヴォーカリゼーション。サウンドは仄かに憂いを帯びて、それでいてどこまでもポップに開けている。そしてリリックは、なるほど、butajiは多様性の実現を諦めていないようなのだ。

多様性とは? 手っ取り早くGoogle先生に聞いてみる。「多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる」とトップに表示される。世間で多様性が喧伝されるようになったのはもはや最近の話ではないが、これはつまり、ただ存在し続けることが困難な状況が依然として変わっていない証拠といってもいい。ときに暴力的に、しばしばシステミックに、ときに自覚的に、しばしば無自覚的に。搾取は続く。人種、性別、国籍、宗教……多数派と少数派は複雑なレイヤーを描き、物事はそれぞれの位相における強者(多数派)により、多くの場合は合理化という言い訳のもとに、シンプルで不公平な論理へと回収されてしまう。私もあなたもbutajiもこの大きな渦の中にいる。『告白』は詩情に溢れながら、抽象的に、ときにストレートに、その分かり合えなさの前で覚える葛藤を描いてみせる。

“正しいこと 愚かなこと
分かれ道に 差し掛かって
答えられないことの多さに
頭を抱える”(「抱きしめて」)

とはいえ、私が個人的にひどく感動したのはその後のシンガーソングライター然としたアコースティック・サウンドの上で歌われるシングル「中央線」(2019年)以降の楽曲である。そこでは『告白』を包んでいた詩情は薄れ、なりふり構わぬ率直な表現が散見される。例えばこんなリリック。

“息を呑む嗚咽のような
その痛みの一つを
その一つを明かしてくれ”(「中央線」)


もはや懇願ではないか。ここで歌われる何があろうと受け止めようという意志は、サビの「それでも愛している」という言葉に集約されているだろう。世界がどうであろうと、相手がどうであろうと、そうしよう、ではなく、そうする。とりわけ「中央線」以降のbutajiの表現は衝動的な、そして極めて利己的な、多様性への欲望を燃やして駆動しているようなのだ。虹のように高揚感のあるシンセサイザーが響くシングル「acception」(2021年)でもこう歌う。

“髪をとかす風が
シャツを透かす光が
右手に触れる左が
私の魂に火を灯す

生まれてきたことは
死んでしまうということ
私は諦めない
あなたと共に生きていきたい”(「acception」)

しかし、不思議なことかもしれないが一方でbutajiは俯瞰的でもある。2021年2月11日にBandcampで配信された「second thoughts #1」で「acception」を演奏する前にこんなことを話している。「相互不理解がすごく進んでしまった物事に対して、こんなに分かり合えないの?じゃあ文化って何をしてきたの?っていう問いが自分自身にすごく降りかかっちゃったんですよね」(参照)。もしも文化が、ポップ・ミュージックが、人と人との間にある轍を越えていく助けになるはずのものだとしたら、なぜこんなことになってしまったのか、という自らをその一端とした上での自己批判を伴った誠実で現実的な問いかけをbutajiは引き受けようとしていたのだ。

アンビヴァレントにさえ感じるこれらふたつ──個人的な欲望の達成と文化に課されたひとつの使命を全うすること──は、奇しくも作り手のものであり、大衆のものでもあるという二面性を抱えたポップ・ミュージックを支える両足となっている言ってよいだろう。少なくともbutajiの音楽はその双脚によって屹立している、と個人的には思っている。その証拠に、本稿を個人的なことから始めた私もそうだが、butajiのインタヴューを担当したインタビュアーのほとんどが自分のことをよく喋っていて、つまりbutajiの音楽は聞き手の口を開かせているのだ。現実の誰かが、語り始めるということ。大げさでなく、それは世界を変える唯一の方法ではあるまいか。

観念的な話に終始してしまった気もするが、そんなbutajiから先日ニュー・アルバムの告知が届いた。リリース予定日は10月6日。本稿でも取り上げた「中央線」「acception」なども収録されるほか、話題となったドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』主題歌「Presence」を共作したSTUTSや、tofubeats、石橋英子ら錚々たるミュージシャンも参加している。タイトルは『RIGHT TIME』。それはきっとたくさんの誰かが口を開くタイミングになるだろう。

ちなみに先日、あらべえとしても知られる荒井優作とのユニット、butasakuでもシングル「picture」をリリースししており、それに伴ってSNSで2人のメールでのやりとりがポツポツと公開されるなど、そちらの今後の展開も見逃せない。(高久大輝)

Text By Daiki Takaku


butaji

RIGHT TIME

LABEL : SPACE SHOWER MUSIC
RELEASE DATE : 2021.10.06

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