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ボブ・ディラン『Rough And Rowdy Ways』

08 July 2020 | By Takuro Okada

ボブ・ディランの新作アルバム『Rough And Rowdy Ways』の話をする前に、世界が混迷を極める2020年3月27日に届けられたシングル「最も卑劣な殺人(Murder Most Foul)」について触れておきたい。私はいまこの状況下でこの大曲を聴いて深く感動したものの、この心のうちに確実に届き響いた感覚を言葉で表現するのは改めて、とても、とても困難である。そんなふうに感じたのは私だけではないはずだ。しかし偶然、ある音楽を耳にしてしまった事で、これから生まれてくる(かもしれない)言葉や感情をこうしてどこかで生活を営む誰かにもたらすことが、確かに私たちが音楽という、形もなく目にも映らない、不確かで、それがもたらす実益もよくわからないものに21世紀に入り20年が過ぎた今尚、魅了され執着する理由の1つであると思える。

肥大し続ける資本主義的システム、ネット社会のシワ寄せが顕著に露わになった2010年代も終わり、そこから始まる新しい10年を先が見えない中でもどこか楽観的に迎え入れようとした矢先に起きたCOVID-19の満盈が暗雲のように世界を蔽った。そんな最中、ボブ・ディランによる「皆さん、どうか安全に、油断せず、神とともにあらんことを。」とのコメントと共に公開された「最も卑劣な殺人」。2012年発表のアルバム『Tempest』以来となる自作曲というトピックに惹きつけられたと同時に16分54秒という異例の長尺シングルである事、そしてそれも所謂トーキング・ブルースでもなく、ビートが主導していたりジャム・セッション的なものでも、もちろんプログレッシヴな展開をもって進んでいくものでもない。ピアノやストリングス、ドラムスが明確なテンポのない中で、ディランの出来るだけ感情を押し殺したような冷静な語り口で紡がれる歌声の中にどうしても生まれてしまう微かな機微をバンドは汲みながら流動的にその言葉たちを包み込むようなアレンジが全編で施されている。

この楽曲は、第35代アメリカ合衆国大統領であるジョン・F・ケネディの暗殺から始まる。そうしたモチーフに一見ショッキングな感覚を覚えるが、1963年11月に起きたこの事件を思い起こすような視線を起点に、ボンヤリと頭の片隅に残るあの時代からの誰かの、あるいは人々の記憶が呼び起こされていく。「静かに、幼い子供たち、そのうちわかるから / ビートルズがやって来る、「抱きしめたい」って彼らがあなたの手を取るよ」、「わたしはウッドストックに行くところ、アクエリアス(水瓶座)の時代なんだ / それからわたしはオルタモントまで足を延ばして、ステージのすぐ近くに座り込むんだ」、「彼らがあの人物を殺したその日、誰かがわたしに言った、「なあ、若いの、反キリスト者たちの時代は今まさに始まったばかり」アメリカ大統領専用機がゲートの向こうからやって来た2時38分にジョンソンが宣誓して就任した」、「昨日の夜見たザプルーダーが撮影し8ミリのフィルム(ケネディ暗殺の瞬間を偶然捉えてしまった事で有名なフィルム)/ わたしは33回、もしかしてそれ以上見たんだ / 下劣で欺瞞に満ちて、血も涙もなくて卑しい人がこれまでに見ることができた中で最も醜悪な代物 / 彼らは彼を一度殺し、それからもう一度殺したんだ / いけにえの人間のように彼を殺したんだ」。あるときは水面に反射した風景のように滲んでぼやけていて、あるときは超高性能カメラで切り取られたような細密な描写として。時系列は定かであるようで、もしかしたら思い込みかもしれない。それは、私たちの持つ記憶という確かであり、あまりにも不確かなもののイメージを強烈に思い起こさせる。そうした意味合いをより強調させるかのように、「エタ・ジェイムズをかけておくれ」、「ジョン・リー・フッカーを」、「カール・ウィルソンを」、「スタン・ゲッツを」、「ディッキー・ベッツを」、「「ア・キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」を」、「「ミスティ」を」、脈絡なく偉大の音楽家たちや名曲の数々の「(レコードを)かけておくれ」という言葉が長大な歌詞の要所要所で印象的に挟まれる。



時代や音楽スタイルは様々だが、それらはノスタルジアを彷彿とする名前といえるかもしれない。ただそれは明確な共通事項もなく、それもどこかの誰かが、いつかどこかで聴いたレコードやラジオの記憶のようにボンヤリと浮かび上がる。あるいはディラン自身の音楽の記憶の瞬間的な断片にも思える。あの日やあの時を思い起こさせる音楽。音楽を思い起こさせるあの日やあの時。音楽の記憶。そして最後は本曲のタイトル「「最も卑劣な殺人」をかけておくれ」の一言で締めくくられる。

今の時点で私はこの曲の真意を汲み取る事は出来ないし、それは永久に叶わないかも知れない。これまでボブ・ディランが生み出した膨大な音楽の中になにかしらの確かな真意がディランによって込められているかということは、幾度となく議論されてきた。言い換えれば、これまでも彼が投げかけた難解な言葉を私たちが個々人で持つ記憶を頼りに私たち自身が紐解くような聴き方を確かにしてきた。そしてそれはディランの作品群に関わらず、ある種レコードを聴くという行為はそうした感覚と非常に密接な関係である事を、「最も卑劣な殺人」で映し出された記憶の羅列に、改めてハッと気づかされる。

例えば「この音楽は素晴らしい」、「この音楽はなぜだかグッとこない」…そういった感情は、あくまで個々人の記憶の蓄積が生み出した趣向に照らし合わせての感受の選択である。私たちの行動や感情は幼少の頃から脈々と培われた記憶と現時点を照らし合わせながら、行動や感情の選択をしているのは言うまでもない。そして、そんな普段は意識もせず当たり前に行っているこうした心の動きを「最も卑劣な殺人」では、非常に繊細に詩的にどこまでも音楽的に書き上げられたものではないだろうか。…と、私自身は感じたりもした。そこに深い感動を覚えた。なぜそこに深い感動を覚えたかと言うと、私自身ではうまく言葉にする事は出来ないが、私の持つ記憶は知っている。言葉というものは文字列として確かな情報を提供するが、その選択を成す心情は発している本人すら不確かでボンヤリとしたものであるように、「最も卑劣な殺人」では、言葉で処理出来る情報としての歌詞に、より細密な心象的な息吹を与えるようにバンドのアンサンブルが与えられているように感じる。ある美しい音楽を聴いた時に「言葉にならない」という気持ちが沸き起こるが、ある瞬間の音楽の響きや旋律が言葉にならないほど細密な心象的な何かを雄弁に語りかける。「最も卑劣な殺人」は、そんな音楽と言葉の相互作用が私の知る限り最も美しい形で納められた楽曲の1つである。

そんな印象を与えられた楽曲の中心となる記憶は、前文でも触れたようにジョン・F・ケネディ暗殺事件が発端となる。1961年1月に43歳で大統領に就任し、僅か3年にも満たない在任中、東西冷戦、ベトナム戦争、公民権運動、宇宙開発競争など、激動の60年代初頭に勃発する数多くの難問をこの若き大統領が背負っていた。彼にはマフィアやマリリン・モンローとの噂などもつきまとったが、何よりも平和への希求が高く今でも人気を誇る大統領で、彼に関する数多くの映画や書物が生まれ、度重なる検証にもかかわらず暗殺された動機や背景は今でも謎に包まれている。短くも波乱に富んだケネディの、血に染まった暗殺事件。

自身をプロテスタント・シンガーであることを否定し続けたボブ・ディラン。「最も卑劣な殺人」では政治的なテーマを扱ってはいるものの、所謂政治的な抗議声明(プロテスト)はもちろん見受けられない。「風に吹かれて(Blowin’ In The Wind)」や「ハッティ・キャロルの寂しい死(The Lonesome Death of Hattie Carroll)」など、キャリア初期のある時期まではプロテスト・ソング的(これを厳密にプロテスト・ソングか否かという話はナンセンスであるので避けさせて頂きたい)ともとれる楽曲を多く作り、時代は彼を時代の代弁者として祭り上げていく事になるが、1964年リリースの『Another Side Of Bob Dylan』を皮切りに彼の詞世界は少しづつ変化を見せていく。その時期に起こった出来事の1つとしてケネディ暗殺事件が横たわる。

ちょうどこの時期のディランの変化については、この《TURN》で『Another Story Of Bob Dylan ディランに捧げる断章とマルジナリア』として執筆した。ディランの来日(惜しくも叶わなかった)に向けて書き溜めていた文章で、プロテスタント・シンガーとしてのディランが次第に独自の詞世界を作り上げていく過程での出来事として、たまたまこのジョン・F・ケネディ暗殺事件の事を紐付けて書いていた。図らずも「最も卑劣な殺人」がサプライズ・リリースされる当日に本記事が公開となったのだが、新しいシングルのジャケットにケネディの肖像が映っているのに思わず動悸を感じた。本曲との関連はさておき…といいつつ恐らく無関係な話ではないと思う。少し長い文になるが、良かったらこちらも目を通して頂けると幸い。

さて、それでは、本アルバムのことに触れていく事にしようと思う。今作は2019年末のツアー後に録音され、バンド・クレジットには以下が記載されている。プロデューサー名は無し。ボブ・ディラン:ヴォーカル、ギター、チャーリー・セクストン:ギター、ボブ・ブリット:ギター、ドニー・ヘロン:スティール・ギター、ヴァイオリン、アコーディオン、トニー・ガーニエ:ベース、マット・チェンバレン:ドラムズ。多少の出入りはありつつ基本的には『Time Out Of Mind』(97年)、『Love And Theft』(2001年)あたりからのツアー/録音メンバーが名を連ねている。ここ20年程のアルバムもある程度固定されたメンバーで構成されており、バンドとしての精度の高さは長年同じ釜の飯を食う仲間のように結束されてきた。近年リリースされた『Fallen Angels』(2016年)、『Ttriplicate』(2017年)でのアンサンブルやツアーの様子が伺える多くのブート音源からそれも伝わるはずだ。

そして本作の目玉、オリジナル・アルバムとしては久しぶりのゲストらしいゲスト・ミュージシャンの参加も触れておきたい。ブレイク・ミルズ、ベンモント・テンチ、アラン・パスクァ、フィオナ・アップル、トミー・ローズ。兼ねてよりディランとの信仰も深いトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの鍵盤奏者ベンモント・テンチ。鍵盤奏者アラン・パスクァは70年代にリリースされた『武道館(Bob Dylan at Budokan)』(1978年)と『Street Legal』(1978年)に参加、ディランのノーベル文学賞の録音されたスピーチに、クレジット無しで「バックグラウンド-y」としてピアノ伴奏を提供している。シンガーソングライターのフィオナ・アップルは、2020年4月にリリースされた5作目のアルバム『Fetch The Bolt Cutters』が、《Pitchfork》のレビューで10年ぶりとなる10点満点を付けた事で話題になった。ディランとの目立った共演はこれまで確認出来なかったが、ブレイク・ミルズ関連の作品に度々登場している事から、ブレイク伝いで今回参加したのではないかと想像する。この3名は「最も卑劣な殺人」で鍵盤奏者としてクレジットされている。誰がどの部分を弾いているか判別はつかないがディランがコラージュ的なオーバーダブをするとは考えにくいので、3人が並んで1つのピアノを連弾するように弾いていたら面白いなと想像するが、それぞれの個別テイクが編集され収録されていると考えるのが妥当だろうか。トミー・ローズは《Discogs》伝いに過去のクレジット検索してみると、アメリカのオーセンティックなラウンジ寄りのジャズ・アンサンブルであるピンク・マルティーニの『Get Happy』(2013年)の1曲でコーラスの一員として参加しているが、これが同一人物かは分りかねる。他の5人に比べるとあまり露出のないミュージシャンのよう。彼も「最も卑劣な殺人」にギターとコーラスでクレジットされている。

そしてブレイク・ミルズ。彼はアラバマ・シェイクスのプロデューサーとして名を上げ、今年に入ってからもパフューム・ジーニアス、フィービー・ブリジャーズの作品に関わり、待望のソロ作品『Mutable Set』をリリースしたばかりである。このマッチングは、多くの音楽ファンの心をワクワクさせるニュースだったのではないだろうか。

多くのブレイク・ミルズ・ファンが、どの曲で彼がギターを演奏しているか気になる所だと思うが、先日彼のインスタグラムで無題のギターを弾く映像が幾つか公開されており「My Own Version of You」や「偽預言者(False Prophet)」などの断片的な演奏を披露しているので、ブレイク・フリークはよかったらチェックしてみると面白いかもしれない。

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クレジットを確認すると、トラック1、2、3、4、5、7、8とほとんどアルバム全編で関わっている。一概にも言えないが、芯のくっきりしたビル・フリゼールとマーク・リボーのちょうど間のようなプレイはチャーリー(彼もまた素晴らしいギタリストである事を念押ししておきたい……!あのチャリ坊がディランのバンドのレギュラーになるなんて想像て来ただろうか)で、少しブーミーで空間的な抑揚の幅が広いのがブレイクのギターではないかと予想する。

アルバムの幕開けを飾る「I Contain Multitudes」は、『Mutable Set』のフィールを感じさせるためブレイク・ミルズの手が入ったようにも感じるが、『Mutable Set』における4、50年代的なポップスを彷彿とさせる楽曲を現代的な色気で彩るようなアプローチは、ディランによる一連のシナトラ・カヴァー作品にも通じる所で、着想としてはもしかしたら逆の関係であるのはおおいにあり得る。ペダル・スティールと絡みながら繊細なタッチで浮遊するエレキ・ギターは恐らくブレイクの演奏だろう。「今日、そして明日、そして昨日もまた花は枯れていく、あらゆるものと同じように」という歌い出しにはじまり、曲のヴァースは毎度「わたしの中にはいろんな面がいっぱいあるんだ」と締めくくられる。独白的なディランの言葉は度々過去の作品でも取り上げられるモチーフであるが、こうした前置きに、これまである種演じるような事に長けていたディランに対して私たちが感じていたような事を彼自身の口から出ると、とてもリアルな感触を覚える。《Rolling Stone》誌による直近のディランのインタビューの見出しにもなった「人の関心を集めたきゃセックス、政治、殺人に限る、それが問題だ」という言葉はとても印象的だった。「セックス、政治、殺人」は、兼ねてからディランの楽曲のモチーフとして登場するが、それらを連想させる残忍さや猥雑さをイメージするワードがヴァースごとに「わたしの中にはいろんな面がいっぱいあるんだ」と回収されていく形式は非常に興味深い。

「偽預言者」はマディ・ウォーターズのようなブーミーなスライド・ギターが耳に残る。「わたしは偽物の預言者なんかじゃない / わたしは自分が知っていることを知っているだけ / 孤独な人間が行けるところにしかわたしは行かない」という歌詞の流れは、時代のスポークマンとして今尚取り上げられ続ける彼自身の意思の表明にも聴こえなくもない。ディランはドスの利いた声で歌い進めてゆく強烈なブルース・ナンバー。この楽曲は、R&Bシンガーのビリー・エマーソンが1954年に発表したシングルのB面に収められていた「If Lovin’ is Believin」を下敷きにしたと言われている。「最も卑劣な殺人」から、ここまでの3曲はシングルとして既にリリースされてる。

「My Own Version of You」は、修道院の霊安室を漁る描写から始まり、人間の部品を掻き集め自分の思い通りの人間を作り上げようとする。アメリカン・ゴシックなムードが全編を覆い、その不穏で狂気じみたストーリーを展開させていく。打って変わって「あなたに我が身を(I’ve Made Up My Mind to Give Myself to You)」では、ロマンティックなラブソングとなっている。ゆったりとしたバラード調の楽曲の中で、誰かが誰かを思う優しさに包まれている。それはちょうどかつてフランク・シナトラが歌ったスタンダード・ナンバーたちを思わせる。黒い騎士が不気味な存在として描かれる「Black Rider」。空間的で陰影に満ちたアメリカーナの響きはブレイク・ミルズの手が入っているのではないだろうか。ブルースマンのジミー・リードを称えたシャッフル・ブルースの「Goodbye Jimmy Reed」は、埃っぽいダウンタウンと宗教的なイメージが交差する。賛美歌のような美しい旋律に乗せ詩を司る女神の母に告白する「Mother Of Muse」。ミシシッピを彷彿とさせるブルース「Crossing the Rubicon」であるが、そこはミシシッピ川ではなく、故事「賽は投げられた」で知られるルビコン川が横たわる。怒り、失望、そして諦めを吐き出し覚悟を決め川を渡る様子はあるいはまたミシシッピ川へと視点が戻ってくる話でもあるのだろうか。海賊ラジオから流れる音楽やニュース、土地柄が生む魅力的な景色や出来事を背景に楽園が描かれるが、死への匂いがどこか漂う「Key West (Philosopher Pirate)」。そして冒頭で紹介した「最も卑劣な殺人」でアルバムは幕を閉じる。

こうざっくりではあるがアルバムに収録された楽曲を並べて書いてみると、ある一点からの視座ではなく、楽曲ごとに様々な視点やキャラクターが描かれる。そこには、嘘、愛、誠実さ、政治、怒り、失望、残虐さ、宗教、欲望、願い、不正、裏路地のアレン・ギンズバーグ、ベートーベンのソナタ、ケネディの暗殺……1枚のレコードの中であらゆる感情、記憶、風景、そしてそれを取り巻く人々や環境、社会が平行的に蠢き続けている。それは私たち人類が生み出したこの混迷する時代に、私たちが何ものでもない人間である事をどうしようもなく思い知らされやしないだろうか。これは自身の内省的な詞世界を築き始めた『Another Side Of Bob Dylan』以降のボブ・ディランが実践し続けた事であるかもしれない。だが本作はそうしたロバート・ジマーマンが作り上げたボブ・ディランという表現の精巧さシンプルさをレコードというフォーマットに落とし込むにあたって間違いなく極みに達したと感じさせる。そして私たちは今、個々人、歴史としての、DNAの、あらゆる記憶を頼りに“選択をする”という人間の行動原理の根本を問うタイミングにいるのではないか。そんな事を考えさせられた。(岡田拓郎)

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Bob Dylan

Rough And Rowdy Ways

LABEL : Columbia / Sony Music Japan
RELEASE DATE : 2020.07.08(日本盤)


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Text By Takuro Okada

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