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【ベックの新作から音楽の過去と未来を考える #2】
歌い継ぎ、書き継ぐことにこそ宿るベックの本分~天井潤之介が紐解く『Hyperspace』

09 December 2019 | By Junnosuke Amai

2008年にロサンゼルスのユニバーサル・スタジオ・ハリウッドで起きた火災で、ベックがハンク・ウィリアムスの曲をカヴァーした未発表のダブル・アルバムのマスターテープが焼失したらしい。量にして25曲分。いまだマネージメントからベック本人への正式な説明はないそうだが、気になったのは、それが2001年にレコーディングされたものであるということ。2001年はベックにとって、8枚目のスタジオ・アルバム『シー・チェンジ』(2002年)の制作を翌年に控えたタイミング。すなわち、前作『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』(1999年)でプリンス・マナーのエレクトロ・ファンクに興じたベックが、自身の音楽ルーツであるフォーク・ミュージックやカントリー・ブルースに再フォーカスした「シンガー・ソングライター」的なアプローチへと転じる過程ないし青写真が、そのカヴァー・アルバムには記録されていたのではないか。それを確認できる機会が永遠に失われたことの落胆。ちなみに、同じく焼失したマスターテープのなかには『シー・チェンジ』の未発表のアウトテイクも含まれていたそうで、報道によれば、ベックがこれまでにレコーディングした音源のじつに90%が失われた、とも言われている。

メキシコや韓国からの移民が多く暮らすロサンゼルスの下町でヒップホップやニューウェイヴ、ランチェラ・ミュージックにどっぷり浸かっていたベック少年が、友人宅でミシシッピ・ジョン・ハートのレコードを見つけ、やがて1930年代から1920年代へとさかのぼるデルタ・ブルースやトラディショナル・フォークの歴史に触れるなかで、後の「シンガー・ソングライター」たる自身の音楽的素養を培っていったというエピソードは知られている。ウディ・ガスリーやサン・ハウス、スキップ・ジェイムズ、フレッド・マクダウェル……のレコードを聴き漁り、実際に真似て演奏してみることを通じて、その伝統的な作曲術やギターの演奏法、歌い回しといった表現方法をベックは身体に叩き込んだ。そうして80年代の終わりにニューヨークのアンタイ・フォーク・シーンに飛び込み、ジョン・ハートやガスリーの元曲にラップやノイズをミックスしたり現代詩に置き換えたりなどし始めたベック独自のスタイルは、デビュー作のカセット『ゴールデン・フィーリングス』(1993年)の時点で早くもその萌芽を聴くことができる。逆再生とサンプリングと回転数を落としたヴォーカルでコラージュされたその未整理なローファイ・ミュージックは、スタンダードでクラシックなアメリカン・ソングのメロディと構造のなかに様々なサウンドやいろんなアイデアを反映させることにオリジナリティを見出し、さらには音楽家としてのアイデンティティを実感するようなベックのシグニチャーを今に伝えている。

●Beck – Golden Feelings

そうしたベックの作風の端々に窺える「折衷/編集」感覚。それはとりもなおさず、ベックにとって「たかがカヴァー、されどカヴァー」であるところの所以でもあるのだけど、まずそもそもの話として、そこで手本とされたブルースやフォークといった音楽自体がその成り立ちにおいて「折衷/編集」的な志向を含んでいたことが指摘できる。至極乱暴に言えば、英国教会の賛美歌に黒人奴隷がアフリカ独自のアレンジや自分たちの言葉を加えて生まれた黒人霊歌や労働歌を元に、さらにヨーロッパの音階や楽器が持ち込まれることで発展を遂げたブルース。そしてカントリーや初期のフォークもまた、イングランドのバラッド、アイリッシュ及びスコティッシュ・トラッドなど元からある曲に、他のいろんな曲のお気に入りのメロディやその土地固有の歌詞を交ぜたりしながら歌い継がれることで大衆に広く親しまれてきた背景がある。

それを踏まえて考えたとき、7年前に発表された『ソング・リーダー』(2012年)が、19世紀にアメリカで音楽の教則本の類として出版されたソング・ブックを彷彿させる楽譜(シート・ミュージック)形式の作品だったこと。さらに、そのブルースやフォークをベースとした大衆音楽を念頭に曲作りが行われた作品の前書きには、ベック自身の言葉として「(演奏者が)自己流にアレンジしてもよし、もちろんアレンジを無視してもらって一向に構いません」「お好きな楽器を使ってください。コードを変えてもらっても、メロディのフレーズを変えるのも演奏者の自由です」とあったこと。そして後日、その『ソング・リーダー』をジャック・ホワイトやウィルコのジェフ・トゥイーディー、モーゼス・サムニーらと実際に演奏(セルフ・カヴァー)してみせた『ベック・ソング・リーダー』(2014年)は、そうしたアメリカン・ソングの歩みを模したプロセスをなぞることでベックが自らの「折衷/編集」的な作家性を再発見する試みとして象徴的だったと、あらためて思う。

●Beck Song Reader – Heaven’s Ladder ft. Beck (Lyric Video)

ベックの音楽には、たとえそれが初めて聴く曲だとしても、どこか既視感を喚起させるようなところがある。あるいは、ベックがニュー・アルバムをリリースする報せに触れたとき、今度のベックはどっちだ!?――つまり「ファンキーでエレクトロニックなベック」か、それとも「フォーキーでオーガニックなベック」か、と私たちは習慣的に身構えてしまう。実際、これまでベックはその両極に振れた音楽スタイルの間を行き来し、あるいは巧妙に交差させながらその四半世紀を超えるキャリアを歩んできた。

そして、ここまでの話から推測されるのは、そうしたベックの身体に染み付いた「折衷/編集」的な作法や関心とは、ごく自然な流れとして自分自身のソングライティングやサウンド・プロダクションへと向けられている部分も多分にあるのではないだろうか、と。つまり、ある種のセルフ・カヴァーやセルフ・リミックス的な志向を含んだサイクルの上にベックのディスコグラフィは編まれてきた可能性が想像される。

たとえば、「自分がこれまでに学んだすべてのことをここで発揮して、それをあえてまたダスト・ブラザーズ(『オディレイ』、1996年)と一緒に仕事したらどうなるのか。これまでにいろいろと試してきたなかでいちばんうまくいったなと思えたことばかりを総括したところはあると思う」とベックが話していた『グエロ』(2005年)。あるいは、ジョーイ・ワロンカーやロジャー・ジョセフ・マニング・Jr.、ジェイソン・フォークナーら『シー・チェンジ』の制作陣を再度集めてレコーディングされた『モーニング・フェイズ』(2014年)。ちなみに、余談だがベックは最近のNMEのインタヴューで、数年前に自身の“Debra”とファレル・ウィリアムスの“Frontin’”のマッシュアップを聴いたときのエピソードに触れて、90年代の終わりごろ、ラジオでひっきりなしに流れるネプチューンズがプロデュースを手がけた楽曲が『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』に影響を与えたことを明かしている。

そのNMEのインタビューによれば、実際にベックとウィリアムスが一緒にレコーディングをする案について最初に話し合ったのは、まさに『ミッドナイト・ヴァルチャーズ』の制作が行われた1998年のことだったらしい。そしてこの度、ついに両者のコラボレーションが実現した(※そもそもはウィリアムスがベックにN.E.R.D.のニュー・アルバムの制作を依頼したことが始まりだった)ニュー・アルバム『ハイパースペース』では、収録された11曲中7曲でウィリアスがプロデュースを手がけ、さらにソングライティングや演奏も共同で担当している。

もっとも、曲作りにあたってウィリアムスからベックには「シンガー・ソングライター」タイプの楽曲を意識するようディレクションがあったそうで、実際、“Loser”や“Hotwax”(『オディレイ』)の頃の手グセを引っ張り出してきたかのような “Saw Lightning”を除けば、両者の組み合わせから即座に想像される「ファンキーでエレクトロニックなベック」はほとんど鳴りを潜めているといっていい。ギターの生音が印象的に使われていて、アップリフティングで所狭しと音が詰め込まれていた前作『カラーズ』(2017年)と比べると、全体的なムードはミニマルでメロウ。しかし、かといって本作が「フォーキーでオーガニックなベック」のリプレゼントとは似て非なる代物であることは、トラップ・ビートを敷いたブルー・アイド・ソウル “Chemical”や、TR-808が伴奏するゴスペル・クワイア――『ソング・リーダー』発表時の7年前に書かれたという――“The Everlasting Nothing”を聴けば明らかだろう。

●Beck – Everlasting Nothing

言うなれば「“フォーキーでエレクトロニック”なベック」のアルバムはこれまでもなかったわけではない。それこそ『ミューテーションズ』や『シー・チェンジ』のプロデューサーを務めたのは当時、『OKコンピューター』から『キッドA』、『アムニージアック』へとエレクトロニック・ミュージックへの傾倒を深めていくレディオヘッドを手がけたナイジェル・ゴドリッチだったことをあらためて思い出されたい。また、リズム&ブルーズやソウルといったルーツ音楽のマナーに則ったソングライティングとヒップホップ畑のミュージシャン/プロデューサーとの組み合わせという意味では、デンジャー・マウスことブライアン・バートンを迎えて制作された『モダン・ギルト』(2008年)と本作の間には共通点を見出すことができる部分もあるかもしれない。なかでも、『シー・チェンジ』のアンビエント・ヴァージョンとも評された“Chemtrails”の浮遊感漂う音響処理、バートンがブロークンなビートを組む“Volcano”の削ぎ落とされた音作りは、本作が醸し出すニュアンスを先取りしている。

ただし、本作がこれまでの作品と大きく異なる点を挙げるとするなら、それはいわゆるストリングスのアレンジメントが排されていること。『ミューテーションズ』以来、じつに20年以上その役目を担ってきた実父のデヴィッド・キャンベルがレコーディングに不参加であることに加えて、そもそもチェロやヴァイオリン、ヴィオラといった類の楽器自体が本作では使われていない(※レコーディングのクレジットも併せて確認するかぎり)。

結果、それも相まって演奏の背後にはぽっかりとスペースが開け、その空間をエレクトロ・ビートがゆったりと這い、アンビエントなシンセのテクスチャーが淡く色づけている。そして、サウンドがミニマルでルーズなぶん、ベックの歌い回しも自在でスムースに感じられ、“Uneventful Days”ではミーゴスも思わせる(?)フロウ/デリバリーを披露したかと思えば、ジョージアのラッパー、テレル・ハインズを迎えた“Hyperspace”や、収録曲中唯一ベックがひとりで曲作りとプロデュースを手がけた“Stratosphere”では、サウンドスケープに溶け込むような広がりのあるヴォーカル・ハーモニーを聴かせてくれる。

●Beck – Uneventful Days

“See Through”の抑制の効いたスロウ・ファンクは、前作『カラーズ』 でポップ・ソングをコレクションしたグレッグ・カースティンとの共作とは信じがたく……ともあれ、前述の本作の制作に際してウィリアムスから出されたというディレクションの話を受けて語るなら、ここでベックが提示している「シンガー・ソングライター」像は、そのルーツに根差したブルース/フォークのピュアリスト的なそれに回帰するのでもなく、あるいは『モーニング・フェイズ』で参照された1960/70年代のローレル・キャニオン・シーン的なそれへの憧憬を深めるのでもなく、これまでとは異なるアウトラインを確実に捉えている。少なくとも、ウィリアムスとの共演を初めて思い描いた20年前ではおそらくたどり着けなかったであろう境地に、本作がベックを導いていることは間違いない。

「フォーク、ブルース、ポップ、シンガー・ソングライター、ゴスペル、カントリー……それらを含めたアメリカの歌集は、人気やトレンドの変化を足下に置きながら、ある種の存在感を保ち続けています。その内容は、絶え間なく否定され、そして再評価され、追加と削除が繰り返されています。その存在感を楽曲に紡ぎ入れることができれば、現代の作曲を形成した音楽構造に注目し、廃れてしまった曲との絆を取り戻す手段になると思えたのです」。
(『ソング・リーダー』に寄せたベックの前書き)

ベックは『ソング・リーダー』を発表した際、同時にオフィシャル・サイトを立ち上げ、そこにはファンが実際に楽譜を演奏した音源や動画を投稿できるようになっていた。たとえるならそれは、リル・ナズ・Xの“Old Town Road”がインターネット・ミームを通じて拡散していったような現象を期待したものだったのではないか、と今にしてみれば思えなくもない。

そして、似たようにある種の模倣や変奏を通じて形作られたベックの音楽もまた、それが伝播し一時代を築いていく過程では、「追加と削除」、言い換えれば「折衷/(再)編集」――すなわち変化を推し進めたり、原点に立ち戻ったりすることでその存在感を保ち続けてきた歴史がある。ちなみに、前述のNMEのインタヴューによれば、本作は当初、ポスト・マローンとリル・ウージー・ヴァートをゲストとして迎えるプランもあったらしい。ベックがイースト・ヴィレッジのアンタイ・フォーク・シーンでパフォーマンスを始めてから30年。今なお新陳代謝を繰り返しながら、自分に残された音楽表現の領域(スペース)を探し求める途上にベックがいることを、本作はあらためて教えてくれる。(天井潤之介)

Photo by Mikai Karl

Text By Junnosuke Amai


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